橋本行秀氏は71年百貨店渋谷店入社、5年後に本部で営業分析や営業企画。有楽町西武の計画立案の中で、物販ができない8階を逆手に取り、堤清二氏の唱える「モノからコトの時代」を反映して、セゾングループの保険、カード、旅行等と共にチケットも展開が計画されていた。当時同時期のオープンが計画されていた銀座セゾン劇場の準備室⾧大河内氏から、アメリカのような自前のコンピューターチケッティングが中劇場のロングランには不可欠との熱意を聞いていた。その後堤氏の決断を経て、橋本氏は有楽町西武開業に合わせたチケット・セゾン立上げに携わる。次いで西武、西友全店にチケット・セゾンのカウンターができ、店頭と電話で予約を受けた。90 年代から百貨店の営業環境が厳しくなり、チケット・セゾンはレタスクラブ等を発行していた当時西友子会社SSコミュニケーションズでの運営となる。チケット業界で初めてコンビニと提携、ファミリーマート約5,000店舗も拠点に加わった。一方で、競合が増え、規模を求めるには新聞広告など宣伝費がかさみ、販売手数料を引下げざるを得ない状況に。加えて店舗への販売手数料が負担となり、ビジネスモデルの限界を感じていたところに、最大拠点であったファミリーマートがぴあと提携することになり、チケット事業のリセットを決めた。当時まだ 11%の普及率しかなかったインターネット専業で、無店舗、会員制(無料)での1to1実現、顧客に意味あるサービスを提供し代わりにチャージをいただく…という全く新たなビジネスモデルを構想。クレディセゾンの林野氏に相談し、50%出資を約束してもらった。残り 50%の出資者探しは難航したが、ソニーとしては異例の 50%出資に漕ぎつけ、エンタテインメントプラス(現イープラス)が誕生した。今ではイープラスが生み出したビジネスモデルが常識となったが、当時は未知の世界だった。今また競合激化の中、チケット販売事業だけではなく、ソニーミュージックと連携しながらアーティストエージェントやコンテンツ制作も中心事業に加えている。今や世界で活躍するピアニストの角野隼斗氏などYouTube出身で新時代アーティストのプロデュースを手掛けるようになったが、この挑戦にもセゾングループの精神が息づく。堤氏は生前、「これからの時代は、規模から価値の時代になる」と予言していたが、「価値とは必要な
存在になること」であると考え、今も自らの指針としている。
E10
(株)イープラス会⾧、百貨店ニューメディア事業部チケット・セゾン事業部⾧
橋本行秀
(撮影日:2025/07/23)