L1 元サンローランリブゴーシュ、マリクレール・エルジャポンエディター、ハーパースバザー副編集長、跡見学園女子大教員 横井由利 (撮影日:2026/02/12)

横井由利氏は1976年にサンローランリブゴーシュに入社した。ここではサンローランのライセンスビジネスの実務を親会社でサンローランのライセンス元の西武百貨店から請け負っていたり、サンローランの店舗販売も行っていた。サンローランのオートクチュールは西武百貨店本体が関わっていて、渋谷西武やピサに売場があった。サンローランの直輸入プレタポルテであるリブゴーシュは丸の内と新宿と渋谷パルコの1階に売場を持ち、札幌にも店舗があった。その後はサンローラン・オムも展開していた。これらは当時は数少ない直輸入プレタポルテ(既製服)だった。サンローランのプレタは造作が日本のような平面的ではなく、体の形通りに立体的でラックに何枚もかからないものだった。西洋の服は体をきれいに見せることを意識したフォルムだと思った。自分が新卒でサンローランに入ったころはファッションのことはよくわからなかったが、サンローランは学生時代から気になっていた。このころは女子大生がインポートファッションに目覚めはじめた時期であり、ルイヴィトンのバッグやカルティエの時計が人気だったがサンローランの服は高価だった。

インポートプレタ服、サンローランリブゴーシュの販売店舗はアルファキュービックの絵画館前の店が最初であり、サンローランと交友関係のあったキャンティの川添氏の紹介を受けたアルファキュービックの柴田氏が出店させていた。西武百貨店では白洲正子氏も招聘委員会に関わったオートクチュールビジネスと日本でのライセンス生産からサンローランビジネスが始まり、あとからインポートプレタのリブゴーシュも始まった。渋谷パルコ1階に西武が出店したリブゴーシュの店は一等地でもあり華やかだった。当時の渋谷の活気は素晴らしい華やかさで、多くの人がそのシーンを見に行きたがった。渋谷パルコは1階正面がサンローランで2階はカフェドラペだった。

一方当時の横井氏は西武池袋本店の向かい側の明治通りを挟んだ所の事務所ビルにあったサンローランリブゴーシュ本部営業企画部にいた。入社当初の仕事は毎日夕方、サンローラン直営店の各店に電話して売上集計をする仕事をやっていた。あとはライセンシーから来たクロッキーを本部に伝える仕事だった。パリ駐在部がサンローラン社にアプルーバルを撮っていた。自分は入社前の西武の企画ツアーでパリに行くときに梅沢社長が手紙を託してくれて、それを見たパリ駐在の望月氏(F11)がサンローランの担当者でメゾンに連れて行ってくれてオートクチュールのショーを見ることもできた。しかし帰国したらその華やかな仕事とは随分違っていて、2年半ほどリヴゴーシュにいたが、このままではサンローランには近づけないかもしれないと思い、思い切ってやめてしまった。そしてパリ留学も考えたが、結局は結婚してすぐに子供も生まれたので専業主婦を3年間やっていたが、また働きたくなり、学生時代から仲の良かったビームスの重松氏に会ったら、レイビームスを立ち上げるので週に1回気になる事や関心事を報告するように言われた。

そのころビームスでマリクレールを出していた中央公論社の編集長を紹介してくれたので、会いに行ったら「何かできるか?」と問われて、自分なりに面白いと思うモノの情報ページを書くように言われた。そうこうしていてフリーで定期的にページをもらえるようになり、今度はエルジャポンの仕事を始めたりやめたりしたあと中央公論のメンズ誌GQに入って編集の仕事を本格的に始めた。しかしそのあとマリクレールとGQは経営体制が変わるなど出版界も変化していった。そのころヴォーグが発刊されたので、ヴォーグの仕事をはじめ、1年遅れてハーパースバザーも始まった。そしてハーパースバザーのモードの副編集長もやりはじめた。そしてこのモード誌の日本版に関する本も書いた。実際自分もそれらモード誌を転々とした。そこで登場するインポートブランドのほうは西武セゾングループのブランドが数多く登場していた。渋谷西武の伝説の売場カプセルには日本にその後どんどん登場するインポートブランドがいち早く揃っていた。カプセルは日本人ブランドもインポートブランドもあった。例えば当時ケンゾーの服はパリにしかなかったが、ケンゾーショップができる前からここにはあった。バイヤーは故斉藤睦さんであり、目利きとしていろいろなインポートブランドをヨーロッパから次々と見つけてきたので憧れのバイヤーだった。ヴェルサーチもフェレもアルマーニも西武セゾングループのエルビスが日本中に販売していた。大沢商会もラコステなどを扱っていた。

編集の仕事をしているときにパリ在住の川島ルミ子さんと知り合い、彼女がサンローラン社長のベルジェ氏から、サンローランの写真を提供するから日本でサンローランの本を出してほしいと頼まれた。彼女から依頼を受け、自分が文化出版にこの企画を持ち込んだが断られ、雑誌セブンシーズを出していたアルク出版から出版できることになった。テキストは川島さんが書いた。素晴らしい写真が沢山掲載された貴重な豪華本だった。それまでなぜかシャネルやヴィトンの本はあったが、サンローランの本は日本で初めてだった。だがアルク出版は書店での扱いがあまりなかったので店頭にはあまり出なかった。恐らく出版は2000年頃だった。

その後どういうわけかファッションを教える教員になった。これは編集をやっていたころ、同じ西武セゾングループのエルメスジャポンの東野加代子(A4)さんと色々と組んでやる仕事をしていたのだが、今度は東野さんから教員の仕事を紹介された。跡見学園で兼任の講師を探しているのでやらないかと言われ週に1回の講義ならできるかと思い年間1コマの講義の仕事を8年間やった。そうしたら跡見の先生が別の大学に行くので後任にならないかと言われ、自分は跡見学園の先生になった。これは生活環境マネジメント学科のファッション領域であり、廃棄する衣料の問題やファッションの歴史などファッションをめぐる色々なことを教えた。そこでの教え子の一人が2年生の単位のためインターンシップの無給の仕事で「ファッションスナップ」に行ったが、4年で卒業するまで、好きで楽しいから続けた結果、そのまま就職してしまった。そして今度は自分が教員をやめた時にこの教え子が「先生が書けることをファッションスナップの記事として書いてはどうか」と提案してきたので、サンローランの日本での展開について、ネットメディアに書くことにした。連載は5回であり、5回目には池悦子(B5)さんやユナイテッド・アローズの栗野宏文さんだけが知っているサンローランのエピソードが登場することになっている。横井氏が寄稿する「ファッションスナップ」は下記のリンクからご覧いただけます。

https://www.fashionsnap.com/article/inside/yves-saint-laurent-and-japan/?category=%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%81%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC

1976年サンローランリヴゴーシュ西武入社 営業企画 1978年退社 結婚後出産 1983年レイ・ビームス準備室でアドバイザー 1984年マリ・クレール(中央公論社)フリーファッションエディター 1990年エルジャポン(タイムアシェット) 1991年エルジャポン退社 1993年GQ創刊のため中央公論社入社(モード・ボーテ部所属) 1997年中央公論社退社(読売に買収されたため) 2001年ハーパーズ・バザー編集部副編集長 2004年退社 2006年跡見学園女子大女子大学 兼任講師 2015 ~2023年跡見学園女子大学 生活環境マネジメント学科教員 現在フリーファッションジャーナリスト