柴田廣次氏は1983年パルコに入社。SP局に配属された。通常1部門2~3年で異動となるのが通例なところ、11年間継続してここに勤務した。SP局はセールスプロモーション局ということだが、実際には販売促進以外のマーケティングや新店準備や新規事業など売上拡大策と異なる増田通二氏の実質的直轄部門であり、公園通りのウォールペインティングや館内TVやFM放送のサテライトスタジオもここで行っていた。ウォールペインティングの多くは新譜のレコードジャケットを美大生など若手アーティストが1週間以上かけて描いていて、制作期間を含めて1か月単位の契約だったが天候が悪いと正味の掲出期間が3週間以下になることもあった。またアーティストの絵が似ていないという理由で描き直しを要求されることもあったが、通常テナント賃料が売上10%であるのに対し、利益率は高いビジネスであり、店舗外区画での車の実物展示などと同様プロモーションビジネスの1つの柱だった。またこれは若者が壁に絵を描くライブイベント性もあり、増田通二氏の狙う「街の劇場化」の一環でもあった。増田通二氏は多くの公募企画では作品を持った若者が公園通りに大行列を作る様子を喜び、こういった「絵になる景観やストーリーを作ることこそが街づくりだ。」と語り、具体的に人が並ぶように実践的な指示をだしていた。これはハコだけを作る今の渋谷の街づくりとは全く異なるものだった。こういった具体的なことを増田氏の下で5年間学んだ。
坂本龍一氏は入社二年目で仕事に関わることになった。当時坂本氏は本本堂という出版社を主宰し、作曲家/ピアニスト高橋悠治氏との対談集「長電話」を初めて出版した際、通常書店主催で実施される(地下1階のパルコブックセンターでの)サイン会といったありふれた出版記念イベントに関心がなく、SP局にオーダーが来て自分が担当になった。現代美術にも造詣の深い坂本氏はハードカバーの新刊書の表紙をスペイン坂にもあったウォールペインティング用の壁に約3m×3mに渡って顔を隠したマスク姿で自分自身で朝7時からひたすら貼り続けるというパフォーマンスを行い、それを動画撮影するというプランを企画し、その様子を柴田氏は坂の上の旧シネマライズ(当時はまだラブホテルだった)の一室から撮影し、プロモーションビデオ作品にした。説明は何もなかったので、朝はNHK職員の通勤路だったスペイン坂では怪訝な顔をされた。赤瀬川原平氏やアンディ・ウォーホルのようなパフォーマンスアートであった。それ以降もパルコでは坂本龍一氏の展覧会や環境プロジェクトなども行われ、最後は柴田氏が伊勢丹に転職後に最後のコンサートを伊勢丹主催で行い大盛況だったが、惜しくも翌年病魔に斃れ、帰らぬ人となった。
榎本了壱氏のエンジンルームと組んでの公募展は最初はビックリハウスから始まったパロディ展、日本グラフィック展、日本オブジェ展、アーバナートと色々な公募企画が行われたが、中でも第3回日本グラフィック展では日比野克彦(現芸大学長)が初めて世に出てきた。グラフィック展の規則では厚さ2センチまでの平面作品ということだったが、日比野氏の段ボールアートは厚さ3センチを超えていたため、最初にはじかれていたが、審査員の石岡瑛子氏は最終選考の際に、もう一度あの作品が見たいと言い出し、改めて最終選考作の中に置くと抜群であると気付き、粟津潔氏や永井一正氏ら錚々たる審査員たちを説得し、日比野氏を優勝作として選出した。この結果、平面に限るという規則を見直すことになり、立体オブジェも別途公募することになったが、これの審査員をどうするかということになり、自身は街中に平面も立体も作りまくるキース・ヘリング氏が最適と考え、色々なルートで交渉し89年に来日してもらった。キースは西武のニューヨーク展やギャラリーワタリでの個展などで当時凄い人気であった。1週間の滞在中、歌舞伎町のネオン街を観たいキースを連れてできたばかりの大箱の最新カラオケ店に行ったときに灰皿にサインをしてもらった。キースはどこに行くときも黒マジックを持っていて、汚い路地裏の店の壁に絵やサインを自分がここにいた証として書き残していた。壁を切り取って保存したいくらいだったが、これも「街の劇場化」の一環だったのかもしれない。彼も来日の翌年に亡くなってしまった。
唯一無二の個性と才能溢れたシンガーソングライターとして現在もリスペクトされているジョニ・ミッチェルの画家としての展覧会を開催することはパルコに入社した時の志望動機の一つでもあったが、入社3年後にジョニと親交のある音楽評論家・鈴木道子氏を経由して交渉を始め、その3年後突然、絵画展を日本で開催できるというニュースが来た。しかしその交渉のタイミングは1週間後の1日だけサンタモニカのアトリエで会えるということで、迷わず上司の故宇佐美昌一氏に相談した。通常海外出張の社内手続きは1か月位はかかる。宇佐美氏は、それなら自分で飛行機もホテルも手配してまずは行ってきて、帰ってから精算しろということでOKを出してくれた。ミッチェル氏は展示作品は自由に選んでよいということになり、その場で展示作品20点を選んだが、多くのミッチェル氏のレコードジャケットに使われている本人作品の絵画展を開催したのは世界でもパルコの1回のみである。この件で思い切った決断をしてくれた故宇佐美氏には後々も頭が上がらなかった。
1990年代に入り、世界のグラフィクデザイン界には英国のiDマガジン他の大胆なレイアウトを成立させたネヴィル・ブロディが世界のグラフィックを牽引し始めていた。このころ英国大使館とブリティッシュカウンシルはUK90という英国の今を伝える大規模な催事を日本で展開することになり、多くの百貨店は英国の伝統文化を伝える催事を企画する中、パルコではオルタナティブUKをテーマにネヴィル・ブロディをクリエイティヴディレクターに起用することにした。ブロディデザインの雑貨販売や広告制作、アート、エンタテインメントなど多くの部門が連動して動いた。当時は日本では無名だったネヴィル・ブロディを取上げることに対しての反対は社内のどこにもなかった。中でも一番今も気に入っているのはパルコ全店の従業員が火災訓練などで使うオレンジ色のライフレスキュージャケットであり、全国の入居テナントさんから火災訓練の際に憧れの目で見られるものになった。当時はネヴィルの作るフォントは見たことのない新しさだった。しかしネヴィルはその後も来日する度に自分のデザインを明らかに模倣したフォントやロゴタイプが街中に氾濫するのを苦々しく思いはじめ、文句を言っていたが、今や彼も大御所になり、彼のフォントは既にデファクトスタンダードになった感がある。余談だが堤清二氏はオルタナティブUK及びネヴィル・ブロディに関心を持ち、説明を求められたため、一度ご説明を行ったが、堤氏は非常に熱心にメモを取っていたのを今も覚えている。
2019年には自分の会社でサッカーチーム東京ヴェルディの50周年事業でのリブランディングを請負った。当時J2に陥落していた東京ヴェルディはJ1昇格に向け今までのイメージを一新する必要があった。そこで、時間猶予も予算も足りない中、パルコ時代から縁のあるネヴィル・ブロディに頼んでみた。クリスマス休暇も挟んで正味1か月程度しか時間のない中、ブロディはすばらしいデザインを作り出し、ヴェルディチームの関連グッズの売上は4倍に伸び、サポーターの機運も盛り上がり、リブランディングの約4年後にヴェルディはJ1昇格をつかむことができた。デザインの力によって目標であるJ1への復帰を勝ち取ることができた。パルコでできた人とのつながりがその後の仕事にもつながっていった。
| 【職務経歴書】 | |
| ① 株式会社パルコ | 1983年3月~2011年2月 |
| 主な担当業務 | 1983年~1994年 本部SP連絡局に配属、以降組織変更に伴い販売促進部・宣伝部に勤務し、販売促進企画/広告制作や全店キャンペーン、美術企画(ギャラリー・ミュージアム企画運営、「日本グラフィック展」等公募企画)、新規開店計画(マーケティング・開店宣伝プロモーション計画)及び店舗周年企画、新規事業計画等を担当渋谷パルコを中心とした宣伝キャンペーン業務(「公園通りまちづくり」含む)や新規事業を担当・媒体ビジネス(ウォールペインティング)、館内有線テレビ放送、公開FMスタジオ(TFM)、メーカーコラボレーション(ダイハツ)広告とイベント(公演・興行含む)を組み合わせた企業キャンペーン ・「alternative UK by PARCO」(英国大使館主催「UK90」との連動) ・「NATIVE AMERICAN」(アメリカンインディアンの思想を取り入れたライフスタイルキャンペーン) ・「VISUALIZE THE FUTURE」(環境・人権問題に焦点を当てたCSRキャンペーン)企業キャンペーンと連動したアート&カルチャープロモーション ・「日本グラフィック展」「日本オブジェ展」「アーバナート」「期待される若手写真家20人展」等若手アーティスト発掘、育成を目的にした公募企画や「ジョニ・ミッチェル絵画展(世界初)」「パティ・スミス写真展(日本初」「バンクシー展(日本初)」等国内外の話題のアーティストの日本初開催を企画新規開店計画 ・国内>新所沢、ひばりが丘、調布、名古屋、松本、大津、広島本館、熊本、長崎アミュプラザ、鹿児島アミュプラザ ・海外>シンガポール店舗周年祭 ・札幌10周年、名古屋5周年、千葉20周年、津田沼10周年、池袋30周年、心斎橋20周年、大分20周年他 1994~2000年店舗の営業担当(営業計画・改装計画等)として、名古屋/津田沼/調布店に勤務(店次長)・名古屋パルコ店/店次長として35か月連続前年クリア。1997年より南館準備室長兼務。・調布店/店次長として、食品フロア等の大型改装を指揮。2001~2003年本部宣伝部長として、・広島新館開店計画を主導。・芸能プロダクション(ホリプロ)とタイアップ、メンズオーディション企画を共催し、映画(製作配給)と広告を連動させたマルチメディアプロモーションを展開。2004~2006年大分店店長として、 ・市内活性化プロジェクト委員(大分市直轄)を2年間務める。 ・大分合同新聞にエッセイ連載(1年半)。・「大分県観光大使(かぼす大使)」に任命される(大分県知事による指名)。2007~2010年執行役渋谷店店長/宣伝局長/店舗運営局長として、・渋谷パルコパート2耐震工事に関わる裁判担当。・渋谷パルコ立替計画(渋谷区特区構想)担当。 ・宣伝構造改革(宣伝費、パルコカード政策他)担当。・経営計画(中期顧客政策)担当。・福岡パルコ開店準備担当(マーケティング、メディア政策他)。 |
| ② 株式会社 パルコ・シティ | 2011年3月~2012年8月 |
| 主な担当業務 | 代表取締役社長として、 ・PARCOのECサイトの全面刷新、新規企画へのトライ。 ・本格的現代美術販売サイト「Living with ARTS」立ち上げ。 ・海外デザイン家電専門サイト立ち上げ(amadanaとの共同運営)。 2012年8月一身上の都合により退社 |
| ③ 株式会社三越伊勢丹ホールディングス | 2013年4月~2017年9月 |
| 主な担当業務 | 経営戦略本部マーケット・開発部新規事業開発担当 部長(新規部門*社長直轄)として、主にグループ初の新規事業開発(一部マーケティング業務含む)を担当。既存の百貨店事業では取り組みにくい異業種との連携や、主に行政/国家レベルの取組み(クールジャパン等)や、社長直轄案件の検討(実施に向けての関連部署との連携)。 「クールジャパン」と連動した様々なプロジェクトの企画運営 ・「クールジャパン機構」への出資>マレーシア店のリモデル(2016年10月JAPAN STORE開店)。 ・伊勢丹初の海外POP-UP ストアをNYに開店(「NIPPONISTA」@SOHO)。 ・パリ文化会館にアンテナショップ出店(「NIPPONISTA2」)。 異業種との協業/新たなライフスタイル提案企画立案 ・「PANASONIC」R&D室との協業による新規開発技術(発表前)を利用したサービスの実証実験を新宿伊勢丹、銀座三越で実施。 ・「BRASIL」キャンペーン>中期3年計画に基づく、新規営業企画を立案実施。大使館及び本国の経済貿易省(APEX)との協業により大きな協賛を獲得(8000万)。 ・各界の次世代リーダーを集めた「未来百価店」会議(社内)を定期的に実施し、グループの中期計画(株主総会資料等)に盛り込む。 経営戦略本部市場開発部新規コンテンツ担当 部長として、新規事業開発を具体化 ・「食事業会社の設立」>㈱三越伊勢丹トランジット(レストラン事業/2016年1月)、「THE 3rd_ PAGE」(MIカード会員限定サロン/外苑前、2016年8月)。 ・「子供教育事業の展開」>最先端デジタルアート&メディアのシンクタンク(YCAM)との協業により、新宿伊勢丹に「COCOIKU」オープン。 ・グローバル企業/異業種との新規取組み>「コカ・コーラ130周年ワールドツアー」キャンペーンとMIグループのキャンペーン「ART CREATION」を連携させて、新宿伊勢丹と六本木で展開。 ・森林保護団体「more trees(代表 坂本龍一氏)」とのCSVの取組み。 営業本部マーケティング戦略部マーケティング戦略担当(部長)として、 ・㈱三越伊勢丹研究所、海外駐在所(NY/パリ/ミラノ)を管轄し、グローバル視点のマーケティング戦略及びMIグループ全体の方向性を「シーズンディレクション」として半期ごとに作成し、経営陣及び全グループスタッフに提案。 ・営業本部CRM/マーケティング戦略策定>分科会リーダーとして、情報の統合管理やメディア最適化戦略を策定し、システム化も推進。 ・宣伝費構造改革の実施>外部コンサルと連携して、宣伝費の構造分析、取引先政策を実施。 情報戦略本部グループマーケティング戦略部(シニアディレクター)として、 MIグループ全体のマーケティング戦略/PR+宣伝+メディア戦略/ブランディング戦略の全体計画を策定 2017年9月一身上の都合により退社 |
- Long Distance Love LLC.
2018年2月に設立。代表社員 柴田廣次他 4名の業務執行社員(慶応大学医学部教授、ITベンチャー企業プロデューサー、メイクアップアーティスト、クリエイティヴ・ディレクター)で構成。
2017月より個人でamidus株式会社と業務委託契約。大手アパレル「アダストリア」の新規事業の立ち上げや、MURC(三菱UFJ銀行系のコンサルティング会社)との業務提携を推進。
日本人次世代ジャズミュージシャンと日本を代表するプロデューサー/アーティスト、冨田恵一(冨田ラボ)氏と実験的音楽イベント「TOKYO LAB」をプロデュース(@渋谷クラブクアトロ*2020年第4回目はコロナ影響により2021年に延期)
2018年6月より、amadanaグループのCCO(チーフクリエイティヴオフィサー)として、新規事業案件のコンサルティングや自社事業(amadana music、CDプレーヤー「CCCDP」の開発&PR)を主導。サッカーチーム東京ヴェルディの50周年(2019年)のリブランディングにイギリスの大物アートディレクター、ネヴィル・ブロディ氏を招聘・起用し、ロゴデザインやチームヴィジュアル(エンブレム)を全面刷新。ヴェルディ傘下のスポーツチーム(13種目)のユニフォーム等も全面統一。
自然写真家「井上浩輝氏」、ポール・マッカートニーのツアーカメラマン等を務める韓国人写真家「MJKim氏」のプロジェクトマネージャーとして、アーティスト活動をサポート。
男子プロゴルファー今平周吾氏(2018-2019年2年連続最年少賞金王)のブランディング・PRをサポート(2020年12月終了)。チームのロゴマーク(team SHUGO5)、本人のアバター(キャラクター)をイタリア人イラストレーター、ビオレッティ・アレッサンドロ氏に制作依頼。
映像作家&イラストレーター田中秀幸氏の個展@BOOKMARCをプロデュース(2021年6月)。
2021年に10周年を迎えるゴールドウィングループのゴルフウェアブランド「and per se」のブランディング及びPRをサポート。総合スポーツ事業会社「東京ヴェルディ」のPR(映像制作・プロモーション)及びオリジナルMD企画等をサポート。
2021年1月より、大分みらい信用金庫のwebサイト「e-DO YOU!」にコラム連載。
住宅メーカー「BETSUDAI TOKYO」のブランド「LIFE LABEL」の新規商品「amadanaBASE」のPR・プロモーションをサポート(冨田ラボ作・編曲のオリジナルソング制作)。
2022年4月より、株式会社BSIDE(大分県)の取締役兼クリエイティブディレクターに就任。
2022年4月より、株式会社ギークピクチャーズが運営するNFTアートプラットフォーム「MOSAIC NATION」のプロモーションを業務受託
2022年6月、イタリア人アーティスト、ビオレッティ・アレッサンドロ氏4年ぶりの個展「ARE YOU A REBEL?」@BOOKMARCをプロデュース。
2022年7月、鹿児島県・喜界島で九州初「サイレントシアター」映画上映イベントを開催。
2022年10月、大分県市内(竹西エリア)で展開するマイクロフェス「Come On Fes」をプロデュース。
2023年5月、ハービー・山口写真展「We will be alright!」及び作品集をプロデュース。合わせて同タイトル写真展を開催@「GalleryX」(渋谷パルコ)、以降全国(パルコ他)巡回展開催予定。
江戸川大学(千葉)社会学科・特別講義「じょうずな仕事のつくりかた」(5/24)、メディアコミュニケーション学科・特別ゼミ(12/1予定)
2022年4月~2023年6月、広告制作会社Cont(大分県)の10周年プロジェクトをプロデュース。
2023年8月よりCASIO新規事業に関するコンサルティングを開始。
2024年1月「健全な地獄~salon de Healthy Hell」を大分市内にオープン
2024年6、11月「麻生子八咫ソロ公演」@「健全な地獄」(大分)をプロデュース
2024年10~12月DJイベント「Anything But Good Music:Revisited 2024♪」@クアトロラボ(渋谷パルコ)をプロデュース
2025年1月音楽イベント「Tokyo Lab 2025 New Year Session」@ブルーノートプレイス(恵比寿)をプロデュース
2025年2月写真展「Another Side Of Herbie Yamaguchi」@iwao gallery(蔵前)をプロデュース
2025年3~5月DJイベント「Anything But Good Music 2025♪」@クアトロラボ(渋谷パルコ)をプロデュース
2025年3月「麻生子八咫30周年/浅草オペラ」@浅草公会堂の制作協力
2025年1~3月江戸川大学・情報コミュニケーション学部特別講義
2025年4月音楽&鍼灸・ビューティーサロン「The Salon of M.A.D」をスタート(浅草/蔵前)
2025年5~6月江戸川大学・社会学部特別講義
2025年6月音楽イベント「Tokyo Lab 2025 Early Summer Session」@ブルーノートプレイス(恵比寿)をプロデュース
2025年7月早稲田大学基幹理工学部/写真表現学クラス
特別講義
2025年9月ハービー・山口アパレルブランド「Wearable Herbie」POP-UP@Galerie GEEK/ART(表参道)をプロデュース
2025年10/12月DJイベント「Anything But Good Music 2025♪」@クアトロラボ(渋谷パルコ)をプロデュース
2025年12月音楽イベント「Tokyo Lab Xmas Special Session 2025」@BAROOM(青山)をプロデュース

堤清二氏、山田社長、佐々木副社長、奥山専務の会合に呼ばれた当時の柴田氏

1988.5.20~6.08 ジョニ・ミッチェル絵画展図録表紙

ジョニ・ミッチェル絵画展図録よりA Chair In The Sky

キース・ヘリング氏が裏面にサインした灰皿

ネヴィル・ブロディデザインのライフレスキュージャケットと東京ヴェルディのロゴ入りキャップ
