J3 元㈱良品計画 代表取締役会長 ㈱良品計画 顧問 金井政明 (撮影日:2025/12/04)

金井政明氏は1976年に当時の西友ストアー長野に入社し、甲信越地域店舗の家庭用品バイヤーとして東京池袋にあった西友本部と連動して、上田西武など西友経営の西武を含む地域全体の店舗の家庭用品仕入を担当する中、西友PB商品として各店に無印良品コーナーを作ったことが無印良品との最初の出会いとなった。西武セゾングループは当時多角化経営時代で、金井氏は甲信越エリアで西友や西武百貨店だけでなく路面店も出店する無印良品事業の担当となる。その後西友としてこの多角化路線がなくなり、当時西友が買収した名古屋のホームセンターを担当するよう指示を受けたが、同時に西友から独立していた株式会社良品計画(以下、良品計画)からも声をかけられていたため、無印良品の将来性に期待した金井氏は92年に池袋にあった良品計画に出向し、1年後に転籍、良品計画の家庭用品担当となり、無印良品でのキャリアが始まった。無印良品自体は1980年に始まって、関西や長野など西友の地域会社でも全国的に扱っていた。

無印良品の定義は色々な方々に、色々な視点から定義していただいているが自分の考える無印良品とは中心のないドーナツのようなものだと思う。無印良品の周辺にはいろいろなコトバがあるが、中心には空洞があってよいと思っている。実際に特に海外からはこの無印良品の定義を問われることが多い。

当時の消費社会では1960年頃から始まった流通革命論が盛んで、ダイエーの中内氏、イオンの岡田氏、ヨーカドーの伊藤氏などが流通革命の旗手としてもてはやされ、堤清二氏もこの流れで西友の全国店舗拡大を行っていたが、一方で堤氏はこの考え方に100%同意してはいなかった。それはモノが充足し豊かになっていくと人間である生活者はさらに人それぞれ個別の価値への対応を求めるようになっていくはずなのに、資本の論理は市場支配のための低価格実現に向け一層効率化を求めて規模の論理に向かうと考えたからだった。生活者個別の価値に対応したら、生産量は少量になり価格は安くはならなくなる。

無印良品はこの問題から始まり、必要な部分だけを残して後は省略することで「わけあって、安い。」というコピーに象徴されるような、堤清二氏が主張する「生活者の自由」を重視して生まれた。今の時代、モノには、生活者に選ばれるためにつけられた記号があふれていて、希少性や便利さや機能や汎用性など、生活者が必ずしもそこに求めていない付加価値を主張しているが、作り手が声高に主張し押しつけるそれらの付加価値によって生活者の自由が奪われているという見方である。これらは作り手が市場競争で勝つための論理であるが、これを否定するということは誰もやらなかった。殆ど使わない過剰な機能や過剰なパッケージなどをやめて、無印良品は水や空気のように、それぞれの生活者の多様な趣味性を邪魔しない必要な機能だけのものを志向してきた。

無印良品は日本酒作りもやってきた。耕作放棄地を活かして米作りをすることから始めてみたが、やってみて実は日本酒の売価は安すぎるということがわかってきた。商品名は敢えて「日本酒」という普通名詞にしてヨーロッパの店舗で売ってみた。

堤清二氏は公平と平等は特に大切にしていた。人種、性別、年齢、学歴で人を差別しなかったが、その一方で自由と公平・平等はどこかで矛盾すると言っていた。従って社会と企業の在り方では平等を重んじる一方で、個人の暮らしは自由であるべきだと言っていた。百貨店、量販店、パルコ、ロフト等専門店やファミリーマートなどのコンビニエンスストアもやってきて、行きついた業態が無印良品だったのではないか。堤清二氏はよく「資本の論理と人間の論理」と言っていた。経営者堤清二氏の頭の中は資本の論理でありながら、同時に文学者の辻井喬は人間の論理で考えていた。それだけに企業の中でも経営責任を持った役職の高い役員クラスと堤清二氏の間には微妙な関係があった。彼ら純粋な企業人に対し堤氏が人間の論理を言い出すと彼らは疑心暗鬼になり困ることもあった。しかし若い社員やクリエイターたちは純粋に堤清二氏の主張に共感していて、懸命に発展のために尽くしていた。

良品計画もセゾングループの会社同様内向き、上向きの部分があった。会長である堤清二氏の発言を一字一句メモして社内に回したり、堤清二氏の考えていることを知ろうとして、堤清二氏が書籍リブロで毎週買った難解な本のリストをチェックしたりしていたが、堤清二氏自体は外の世界の深い部分の最新変化に敏感であったため、ある意味、堤会長の視点を通じて外の世界の変化を感じていた。堤清二氏は自分の足で商品を探してリスクを取って買い取る無印良品を褒めてくれ、いつも鼓舞されていたが、百貨店上層部などはこういう動きには後ろ向きであった。当時のセゾングループは若手や現場の人間にとっては独自に考えて行動できる自由な会社だったが、上層部はそうでもなかったと思う。

今や海外主要都市の繁華街に店舗も増えた無印良品だが、色々悩みながら前に進めている。本来無印良品は引き算の商品で、収納や文具や下着類などは引き算でつくられることが合理的であり、環境面や価格面で良いことなのだが、領域を広げようとすると快適性や機能性など別の要素が求められてくる。本当に普遍性があるデザインだと言われたかつてのバウハウスなどの商品も実は地域や時代によったものであり、今改めて世界各地のモノを調べると、ある地域で生活文化に根差した普遍性があるものは別の地域では一種の面白さになる。これが「Found MUJI」になった。

「MUJI Labo」は、無印良品としてそこには手を出せないという縛りの境界線を実験として飛び越えてみたいという試みだが、全てがうまくいくものではない。単なる売上作りになってしまったものもある。日本は失われた30年で単なる価格勝負のモノが増えてしまい、単なるぜいたく品ではない本当の豊かな質を忘れてしまっている。それを今改めて無印良品はやるべきだと思っている。7500品目、8000品目と土俵が広くなると色々な競合とぶつかってしまう。単なる引き算の商品、お客さまの自由を満たすだけでは足りなくなり、何か機能など追加しないといけない領域も出てきている。

失われた30年に日本だけはリストラをあまり行わず、給料も上げず投資もせず、共同貧困の道を選んだため諸外国のように国内格差は大きくならなかったが自社株買いをさせられた経営者はいた。次の時代は、田中一光氏も大切にしていた日本の伝統的な精神文化を海外に向けてただ誇るのではなく、それが世界にどう貢献できるかを考えるべき。今や世界各国は自国に有利になる事ばかり考えているが、人間も自然の一部だという意識を持ち、社会の課題や矛盾に立ち向かい世界に貢献するということは可能だと思う。日本にはそのための基礎的能力も基礎研究もあるので、それらを活かせば大谷翔平さんのように世界で活躍できるという夢が若者の間に広がるだろうと思う。無印良品ももっとコトの面でも世界に貢献できると思う。

金井氏は良品計画の在り方として「公益人本主義」というキーワードを提示している。これは流通支配を目指す大型小売業とは大きく異なる良品計画のような業態では、経営陣が優秀であるだけでは不十分であり、経営陣が桁外れの現場力を引き出せるかどうかが重要だと考えているから。それぞれの現場が主体性を持ち自ら考え行動する、いわば自律分散型の経営を目指しているという。そこには「人間が納得できる企業理念」と「誰かの役に立てる」という事には誰でもエンゲージするという理念がある。また良品計画の公益人本主義は行き過ぎた株主資本主義に対するアンチテーゼでもある。社員が株主であり経営者であり、其々の現場でプレイヤーであることで、自然環境や地域社会を重視し、結果的には世界レベルで高収益を実現し、社中(※)の皆様に分配する経営を目指して挑戦しているという。

 ※社中とは単に利害関係者であるステークホルダーという考え方とは違い、企業活動に関わる全てであり、地球も自然も含まれ、社員株主、お客様株主、投資家、お取引先、地域社会などを指す言葉だという。

なお金井氏の背景にある書籍はすべて田中一光氏の自宅にあったものを良品計画本社にて保管しているもの。事務所にあった書籍類は大日本印刷で保管されている。