H2 元商品部音映像事業部、池袋ロフトフォーラム 小泉直也 (撮影日:2025/10/02)

小泉直也氏は1986年西武百貨店本部商品部音映像事業部に入社し、半年後から楽器仕入を担当。当時西武全店の楽器売場には電子ピアノが登場し、ヤマハ、カワイ、ローランド、コルグなどが家庭用電子ピアノ販売合戦を繰り広げていた。WAVEは六本木の次の独立館として、池袋店の明治通りの反対側にあった旧ハビタ館がWAVE館になっていてここにも売場があった。一方自分が提案する企画面では新しいカルチャー企画の多くが着地できない状況もあった。そのころ音映像事業部では渋谷ロフトにも売場を展開していたため、ロフトの安部部長から声を掛けられ、知久部長からも行くことを勧められ89年にロフトに異動した。このころロフトは渋谷、梅田、川崎についで4番目に池袋店の9階から12階への出店が計画され、12階に予定されていた100坪のイベントスペースの内容がなかなか決まらなかった。このため自分たち上司を含む3人が、ここの担当となり、展開企画を練り始めた。企画は自分たちの企画と営業企画など社内からの持ち込み、さらにニューアート西武高橋氏からの企画もあった。高橋氏からはセネガルの彫刻家の展示企画など当時盛んになった世界の民族芸術を捉えた希少な企画も持ち込まれた。91年には現在も横尾忠則氏の重要なモチーフである滝シリーズの新作で、背後からの内照式照明をつけたコルトンボックスで滝が動いて見える作品が登場した。こういった新しすぎて評価の定めにくい斬新な作品の登場する場として、ロフトフォーラムは重宝がられた。横尾氏とはこれが縁で、その後も映像にアンビエント音楽をつけるなどのお仕事が舞い込んできた。菊池正宏氏の南方堂からは、世界の解剖図、心霊写真、仮想動物など人間の空想力の歴史や文化を見せる展覧会企画が持ち込まれ、マスメディアにも大きく取り上げられ人気となった。寺山修司や澁澤龍彦や泉鏡花など超現実的な作家も数多く取り上げられ、自分自身が深く関心のあった澁澤氏の書斎も紹介した。このころから知のスーパーヒーローとしての澁澤龍彦に社会の関心が集まり、多くの出版物が再登場し、展覧会は大行列となった。ロフトフォーラムの企画は好奇心の数だけ柔軟であり、ロフトで展開するモノのコト版ともいえた。7階催事場にもセゾン美術館にも入りにくい新たな価値観を表現していた。フジテレビの深夜番組「カノッサの屈辱」展も開催した。当時のマス商業化される以前のサブカルチャーが池袋という権威性に乏しくやや危うい立地とうまく合っていた。企画の多くは、今なら事なかれ主義の安全安心万能主義の下で却下されそうなものが多かった。当時人気となった1960年代のホンダモンキーなどのレトロバイクの展示即売も開催したが、法令順守で完全にガソリンを抜いてエレベーターに載せてもどこかガソリンの匂いがして心配だった。ビンテージギター即売会も大人気企画だった。ロフトという趣味の世界の中での展示即売ということで、当時は百貨店的な権威性あるアンティークより低く見られ中古品扱いだった雑貨類に、このころから市場性が生まれてきた。自分は93年にロフトを離れ音楽の世界に戻り、音楽プロダクション自らがファンクラブを組織したり、グッズ制作をしたり、ポップアップイベントやブランドコラボレーションを手掛ける新事業を任された。これらにはロフトフォーラムで培われたノウハウが生かされている。残念ながらロフトフォーラムは自分が離れた後1年ほどで消滅した。元チケットセゾンのイープラスがタレントマネジメントを始めていたりするのと同様、業界の枠がどんどん壊されていく中、従来の枠にとらわれず柔軟に面白いものに取組む西武セゾン時代の経験は大きな糧となった。当時の社内の先輩方には専門的な知識や経験を持った方々が沢山いて、学びたければいつでも直接教えてくれたので、自分の成長ができたことが嬉しかった。