小谷野慶子(旧姓杉原慶子)氏は1980年西武百貨店本部販売促進部に入社。当時の本部はまだサンシャイン60に移る前で西武池袋本店内にあった。最初の仕事は森田岳史氏の下で担当したセゾンクラブであった。これは毎月の積立金で商品券が戻ってくる百貨店友の会の会報誌で、2カ月毎に会員に発送する小冊子を制作した。プロダクションはVCCで全店共通ページ以外に各店ページもあり、各店販促とやりとりして店舗別情報も載せていた。次に担当したのは月1回掲載する新聞広告、ピックアップ西武だった。6コマ3段で18枠の書籍枠が並ぶ新聞10段広告で、通常の広告のように商品部バイヤーが売りたい商品を出すのではなく、佐橋慶女氏の主催するアイディアバンクの女性メンバーたちが店頭から面白い商品をピックアップしてきて、その中から選んだ商品一つ一つをプロダクション、レマンのコピーライター坂本進氏が独自の視点でショートストーリー風の読み物に仕立て、商品イラストもつけた広告だった。会社の都合ではなく、一顧客目線で見つけたおもしろいものを広告に表現する仕事は今でも色褪せない。その後広告制作の仕事はセゾングループのハウスエージェンシーのSPN(後のアイアンドエス)が担うことになり、小谷野氏もSPNに異動。ここで仲畑貴志氏のCDの下、クレディセゾンのセゾンカードの広告を担当する。最初の広告は元サンアド亀井武彦氏の月と太陽のイラスト、次にアールの山城隆一氏の猫のイラスト、以降現代美術を広告に使うようになり、ジャン・ミシェル・フォロン、キース・ヘリング、ロイ・リキテンシュタイン、ジョナサン・ボロフスキー、マーク・コスタビなどを次々と広告ビジュアルに起用し、多くの作家たちの個展を西武美術館や渋谷シードホールで同時期に開催した。これらの広告活動によりセゾンカードの先進的で感性あるイメージがしだいに形成されていった。ボロフスキーの撮影でL.A.のヴェニスビーチまで西武側代表として出張したのはまだ25歳前後の頃だったので本部メンバーに心配をかけた。当時の西武セゾングループのクリエイティブワークは、今改めて見ても全く古びない、時代の流行を超えた普遍性のあるもので、特にベビースイミングを絵と動画にした「じぶん、新発見。」は、時代がリセットされている現在において、何歳になっても、常に自分がどうありたいのかを考える現在のコピーだと思う。
F13
元本部販売促進部、㈱アイアンドエス
小谷野慶子
(撮影日:2025/08/28)