G9 元西武百貨店建装部、現カワサキ・タカオ・オフィス 河崎隆雄 (撮影日:2025/09/22)

桑沢でインテリアを学び天童木工で3年半程の経験を積んだ河崎隆雄氏は25歳頃で西武百貨店建装部に入社した。ほぼ同時期に元スーパーポテトの飯島氏も同じく建装部に入社している。西武に来たのは先に建装部に転職した星川氏の後を追ってだった。当時の建装部は公共施設や美術館の会議室などの。照明やテーブルや椅子やカーペットなどの備品類の設計と納品が主な業務で、競合百貨店も同じく外商部の一種としての建装部があった。当時は床壁天井は触っていなかった。当時ワコールが始めたレストランの仕事でタカミデザインにもつながりができ、家具や照明の設計施工を請け負った。当時は東京プリンス内のピサの中にも建装部機能のモントロワがあって若松氏が仕切っていたが、この方とも意気投合し、当時渋谷パルコ1階に出店が決まったサン・ローラン・リブゴーシュ1号店のデザインの仕事が来たので、一緒に取組んだ。ここでは施工の現場管理を主に行った。そのころからコム・デ・ギャルソンの仕事にも関係し始める。ギャルソン1号店の青山フロム・ファースト店は白いタイルの壁とコルクの床だったがそのあと、青山ベルコモンズ店では漆喰の中仕上げや砂を石膏に混ぜたものを壁面に使ったが、さらにこれがモルタル仕上げになっていった。パルコパート2のギャルソンのローブドシャンブルの店ではこの仕上げになった。しかしモルタルは下地材であり、上からクロスや経師貼りをするものであり、港区建築家ではこれは未完成状態だから認めないと言われ、営業開始後の写真を添付することを条件にやっと承認され、以後はこれが常識化した。これはローコスト仕上げでもあり、当時トレンドのハイテックスタイルブームも追い風になった。ギャルソンの神戸ローズガーデン出店の予定地は、コンクリート丸柱の間にガラスが壁があり、内側だけ漆喰が塗られた場所だった。そこでこれを設計した安藤忠雄氏に内側の漆喰を外側に合わせて剥がしたいと申し入れたら「取ってくれるのか?」と逆に喜ばれ、現場監督も引き受けてくれた。安藤氏と波長が合い、工事の足場に使う荒々しいベニヤ板を床に使った。引き続き安藤氏の神戸リンズギャラリーのショップでは床はコンクリート剥き出しで間仕切りは積み上げたブロック剥き出しにして大きなディスプレーテーブルとラックだけを置いた。床から出ていた鉄筋もそのままにした。安藤氏は「本当にこのままで良いのか?」と言い出し、「それならブロックはもっと丁寧に積んでおくんだった。」と言った。専門家同士の技術用語ではない普通の人の会話で色々な物事が進んだ。ソーホーのウースターストリートに出店した際、当時のソーホーにブティックはまだ少なかった。その前にパリにも出店していたのでパリと同じような地下室があると思ったら、やはりあったのでこれを活かそうということになった。しかし階段は狭いので、店舗中央床に穴をあけ、階段は店の奥に設置し、1階をぐるっと回って上から地下を見て、奥の階段を下りる方式にした。什器は大きなディスプレーテーブルとハンガーラックだけにして、見せたい商品をテーブルに置き、あとはラックに全て吊るした。商品をアピールする壁面ハンガーなど置かず、商品はラックだけだったので商品点数が少なく見えた。洋服屋というよりギャラリーのようだった。ギャルソンのショップは空間の大きさが特徴だった。ここに現れたスティービー・ワンダーは店内に入るなり、「ここは何かが違う」と言い出した。恐らく蝙蝠のように目ではなく、空間から何かを感じていたらしい。これは空気を感じるような視覚でない直観力であり、この直観が人間行動を決めていると川久保氏は見抜いていた。だから川久保氏はいつも「きっかけ」がほしいを言っていた。行動を変容させるきっかけとは人やモノと出会って人の可能性が広がる事。コムデギャルソンが定期的に顧客に送付しているアートビジュアルブローシャーもそういった考えによるもの。全部を見せるのが親切なのではない。ネット通販全盛時代に百貨店などの店頭小売業がすべきことは、人と人がモノを挟んで何をすべきか。それは人と物とのリンクの仕方を提示し、記憶にして、商品に価値を与える事だろう。それをせずに過去のデータや経験だけで接客していては未来は作れない。売上ノルマより良い顧客に出会うことが大切だ。あれこれお勧めする販売員より、直接モノに関わるバーテンダーや靴職人がいることでモノの背景がわかってくる。それがないとモノが単なるモノのレベルになってしまう。店頭小売業は売場の規模ではない。一定スケールの中で質を上げていく必要がある。いろいろな領域のプロが接客することが大切だから、販売員は年齢で選んではいけない。初期の東急ハンズは色々な専門業界の定年退職者を販売員にしたことで、来店客はプロとしての説明を聞くことができ、再雇用された販売員もハッピーだった。だからわざわざ店に行く必要ができた。そういう人が居なければ通販でも用は足りる。今の専門性のない、接客スキルだけの販売スタッフとの間では偶然のモノとの出会いが存在しない。また宣伝活動も曖昧になってしまった。機能を訴えるのか品質の良さなのか、色々詰込みすぎて本来のモノから離れている。自分はデザイナーではなく設計家と言っているが、これはハカリゴトをめぐらす仕事だという意味。原点をどうするか、過去とどうつながるかを考える。アバンギャルドデザインはいつしかトラディショナルデザインになっていく。ただ目先を変えるだけの新しさではなく、何回も未来と過去を往復しながら進化していく。自分はいつも雑談がエネルギーになると思っている。10個出てきた話の中の1個が引っかかれば十分だと思う。壁面にたくさん集めた落ち葉などもそのうち1個がギャルソンのフレグランスの広告になった。部屋があまり整ってしまうと逆に緊張してしまう。   ほかに良い物を持ってくるだけじゃなく、自分で何かを作らないと対比がわからないから、必ず原寸でモノを作る。また自分で作ったものが拠り所になる。照明デザイナーのインゴマウラー氏と多くの交流を持ち、自分でも前から気になっていた壁面の天井付近だけを照らす照明を作ったことなど、興味深い色々のお話を伺った。