鹿野順一氏は1962年、池袋1店舗の時代に入社。屋上にはヘリポートがあり、アランドロンが康次郎会長と共に社員食堂に来たり、007の初代アストンマーチン売場展示もあった。シャッターは手巻式だった。池袋店火災の際は西武園で火事を知り、水の掻き出しに追われた。支店第一号船橋ができ開店から大盛況だった。東武はまだ畑だった。池袋店内の商品部に戻った。当時モノ不足で朝品出したコートがすぐ無くなった。渋谷店が誕生し、渋谷と池袋に若者向Be-in売場ができた。キュリオやシスコもあるライフスタイル型売場だった。業界初の自主商品開発のテッドラピドス、フィフスウォーカー、ラルフローレンを始め、卸売も着手した。紳士部長としてサファリルックや白のテーマ売場、メンズブラウス売場も手掛けた。売切御免の意味でリミテッドエディション売場ができ、英国ブラウンズ、フランスのファッソナブルを買付展開した。宇都宮店販売部長に転務後、大宮店長に赴任。スポーツ部に戻り、吉祥寺西武スポーツ(現在の吉祥寺ロフト)等を手掛け、西武ピサに異動。在庫の大きなエルメスの消化化交渉成功後、商品量が増えエルメスは絶好調に。後に東京プリンスのピサは閉鎖になり、大阪だけ残ったが、百貨店にとって良いお客さまの存在は売場面積より大切だと思う。
D12
元西武PISA、紳士服飾部長、大宮店長他
鹿野順一
(撮影日:2025/06/24)