H9 元西武百貨店営業企画室 船橋店、渋谷店 セゾンダイレクトマーケティング 現セゾンファンデックス 福田昭彦 (撮影日:2025/10/30)

福田昭彦氏は1968年西武池袋本店家庭外商部に入社した。入社した年に渋谷店ができ、翌年パルコが誕生したので新卒100人の配属は池袋と渋谷が半々だった。2年半の家庭外商の後、クレジットカードの西武カストマーカードのシステム化に従事し、営業企画に異動し、ここでカードの西武信販を立ち上げる計画が起こったが、会長決裁まで終えた後、竹内氏に呼ばれ、緑屋を買収することになったのでこの計画は中止、チームは解散になった。そして営業企画の本間室長の下の営業企画担当大島氏の下に異動した。営業企画室には大島氏のほか、広告制作の吉田氏、販促企画の倉重氏、装飾の水尾氏が在籍していた。その後31歳の時、船橋店増床計画のため、船橋店に異動、さらに宇都宮店リニューアルで宇都宮店に異動した。39歳の時、山崎社長に呼び出され、ダイレクトマーケティング部を作ったので、ここに異動するよう指示を受けた。89年には堤会長に呼び出され、社名をセゾンダイレクトマーケティングにしたと告げられた。しかし当時はセゾンという名前の知名度は低かったので、新聞通販広告の名称は西武ダイレクト名で打っていた。しかし95年に和田会長が西武に復帰し、百貨店は以後ダイレクトマーケティングをやらないと告げられ、竹内社長のクレディセゾンに異動となった。その後、林野会長から依頼されて、当時厳しかったクレディの別事業のアトリウムやセゾンファンデックスなどの再生と発展の仕事に従事してきた。

昔のセゾンダイレクトマーケティングはまだインターネット普及以前の時代であり、ネットは反応が遅くナローバンドで商品通販には不向きだったため、主な媒体は新聞広告やカタログであった。原稿は5段から60段までいろいろなサイズのものを作り置きしていて、電通に預けておき、あとは出稿予定広告に穴があいた所に安価で出稿してもらった。年間かなりの出稿量になったため、百貨店本部販促からは、百貨店年間出稿量にカウントさせてほしいとまで言われた。当時の媒体担当は百貨店販促の白石氏や菅家氏であった。ネット情報ではこのころようやくNTTの情報端末キャプテンシステムが動き出した。

ダイレクトマーケティングは恐らく堤清二氏が提携先のシアーズをヒントに86年に無店舗販売の仕組みとしてスタートした。これはRFM分析で購買客一人ひとりの購買時期、頻度、購入金額がきちんとわかり、どのお客さまに次のお薦め商品として何を提案できるかが明快な仕組みであり、シアーズやリーダーズダイジェスト誌がこの仕組みの先達だったので、堤氏は日本のリーダーズダイジェスト誌の大儀見薫氏をスカウトし、自分の上司になっていた。大儀見氏は日本外洋帆船協会を率いていたヨットマンでもあった。95年にはアマゾンや楽天が創業したが、まだこのころのインターネットの普及は低くネットの反応速度も遅かった。

西武以外も百貨店各社はカタログ通販に参入したが、どこも売場から抵抗を受けていた。なぜならダイレクトマーケティングは少品種大量販売で媒体コストを下げられるため、店頭価格よりも安価で提供する商品が多く、羽毛布団や有名ブランドと同じファクトリー生産のバッグなどを提供すると売場や取引先からクレームが出た。媒体コストを吸収できる大量販売商品が多かったので、今のネット通販のような希少性あるロングテール商品はダイレクトマーケティングには登場しなかった。よく売れた商品はK18喜平ネックレスや通販用取引先から仕入れたルビーやサファイア指輪など、素材が明らかで価格優位性のあるものだったので、これらには力を入れた。今となっては、K18ネックレスはとても値上がりしてしまったが。

自分たちのダイレクトマーケティング事業部ができた頃は、西武百貨店はニューメディア事業部や専門店事業部やWAVEの音映像事業部など、拡百貨店、脱百貨店、超百貨店を合言葉に多くの事業会社を続々作っていった。堤さんは百貨店が元気なうちに新しいことを始めたかったのだろう。自分は結局百貨店の成長期から衰退期までを見ることになった。そして結局は、立地に依存しない業態であるクレディセゾンやチケットのイープラスやモノづくりの無印良品などが生き残った。ハードに依存しない仕組みのビジネスが生き残ったのは示唆的だろう。当時は無印良品も立ち上がり期で堤さんはダイレクトマーケティングも無印のようなオリジナル商品を開発するようしきりに指示していて無印商品も扱うことになった。無印の木内氏とは気脈が通じ、無印通販は好評であった。「主婦の目」からスタートした主婦目線で使いやすい無印良品のサイクルレインコートやアイロン台などは大ヒットになった。実際に主婦が使って使いやすいわけがコトバできちんと説明できる商品だった。無印良品には当時の西武百貨店も西友もあまり注目していなかったが、堤氏の見立ては正しかった。モノづくりにこだわる姿勢は無印良品もダイレクトマーケティングも同じであった。冗談だが、後に西友が通販会社の二光通販を買収し、西友は無印良品の展開をここでやるよう木内氏に指示したものの、木内氏は二光より一光(セゾンダイレクト)が良いと言って応じなかったという。