1970年に慶応義塾大経済学部から、教授や財界人の父上の反対を押し切って入社した動機は、開成時代に関東に2店舗しかなかったVAN目当てに池袋店に通い、渋谷カプセルで倉俣環境と店内音楽に衝撃を受け、三島彰氏に声をかけられた事。2年目の営業企画で古川娟二氏やマガジンハウスの木滑氏や石川次郎氏と毎日打合せと夜の部で一年がアッという間に過ぎ、雑誌連動海外催事の時代を作った。第1回高輪会は2日で3億予算達成に向け田中一光、小池一子のカタログで半期の営業活動が行われた。堤会長は昨年踏襲の絵画展催事などを喜ばず、常に連動商品開発等新たな取組による企業への貢献を求められた。丁度西武美術館ができた時、学友の芦野公昭氏がパリから帰国し美術洋書店を開業したいと言っていたので自分も出資した。堤会長に相談したら、面白いので西武も出資し、西武美術館の脇で開業しろと言われ、アールヴィヴァンが開業。これが美術館併設ショップの草分けになった。高橋信也氏も参加し、海外にも有名な店になった。渋谷店長となり、百貨店の専門度を高め生活成熟化時代に対応するため社内外50人ずつ専門人材を公募しPlay It Yourself大人の一人遊びをテーマに新館にロフト館を作り、英仏伊以外のファッションや既存ブランドのパーツ組合せができるファッションの新館としてシード館を作った。丁度このころ企業テーマは「ほしいものがほしいわ」であり、まさにロフトのテーマだった。社長時代は特に取引先以外との交流を重視し、人間国宝の染色家志村ふくみさんから、百貨店商品は問屋マージンが多く、作家手元に多く残らない事を教えられた。百貨店人は問屋以外ともっと会って世界を知り、作り手や使い手の間の助け手にならないといけないとつくづく思ったがその先人が堤清二氏だった。今の我々の成熟生活の多くは堤さんに負っている。百貨店退社後は堤さんの晩年まで20年程会わなかったが79歳の今も何らかの恩返しを考えている。
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元西武百貨店社長
水野誠一
(撮影日:2025/05/12)