E12 元西洋フードシステムズ会長、元吉野家ディ・アンド・シー社長、(株)セゾンコーポレーション社長 杉本惇 (撮影日:2025/07/29)

杉本惇氏は1957年大卒2期生で和田、細田、三谷、金城、上田氏など13人と共に入社。最初、山崎元社長や谷島元常務が既に在籍していた食品部で研修され、すぐ総務部庶務係となり、堤清二店長の下で鍛えられた。池袋店火災の際は多くの犠牲者ご遺族のお宅へのお詫び行脚。増上寺慰霊祭の際には、ご遺族は康次郎大会長の周りに集まってしまう時代であり、アランドロンを康次郎会長が社食に連れてきた時代だった。74年に百貨店役員就任。80年に上場会社の明治キンケイ食品を買収してレストラン西武ができ、初代レストラン西武社長は竹内氏が就任、居酒屋藩などを作り改革をはじめ、竹内氏に代わって杉本氏がレストランに異動。その後当時の百貨店社長坂倉氏が山崎氏を指名したため、竹内氏はクレディ、和田氏がレストランに来たため、和田社長の下で店頭上場から二部上場、一部上場と快進撃し、得意のコントラクトレストラン以外にカーサ、OLD&NEW等新業態を次々開発。ルノートル等本格フレンチベーカリーも出店した。また会社更生法適用の吉野家の管財人を堤氏が引受け、当時展開していたダンキンドーナツと共に吉野家D&Cとなりこの社長にも就任。その後セゾングループの不動産負債が問題化し、西洋環境のゴルフ場は西洋フードが引受ける事となり、堤氏と銀行回りをするも結局、百貨店も西友も西洋フードもそれぞれ外部資本となった。不動産がきっかけでこうなったのは脱小売を目指したダイエーと同じ運命だった。ダイエーもセゾン同様資金も人材もいなかった。ダイエーと違い、セゾンの会社は西友もファミリーマートも西洋フードも無印もパルコも名前は残ったが西洋環境、大沢商会、オールステート生命等の名称は消えた。思えば西武百貨店は当初から脱伝統百貨店であり、JIMAグループ等全国百貨店の緩やかな連合を志向していたが、結局阪神百貨店、神戸そごう、高槻西武等は阪急の手に落ちた。当時JIMAメンバー企業だった元阪神百貨店幹部の方と今も当時のことを語りあう事が多い。