F3 元西武美術館、セゾン美術館学芸員 大塚保子 (撮影日:2025/08/05)

大塚保子氏は79年、当時品川プリンスホテルボウリング場裏にあった旧高輪美術館の学芸員として西武百貨店に綜合企画室から出向し、2年程して高輪美術館が軽井沢に移転となり、大塚氏は西武美術館に異動した。最初の仕事は81年の辻清明展であり、カタログの写真撮影でスタジオに籠った。当時西武美術館長は紀国憲一氏で企画は小田部長、学芸は森口部長だった。翌82年の北京故宮博物院展は30万人の大量動員で大入袋も出た。若手学芸員だったため、カタログ撮影や作品点検も行った。その後古代エジプト展、ガンダーラ展、上海博物館展など毎年1~2企画あった人類の遺産シリーズを担当した。また品川の高輪美術館に収蔵されていた菅井汲や流政之など百貨店が購入した作品はその後軽井沢に移転した。西武美術館は池袋12階から現在の無印良品のある建物の1階2階に移転しセゾン美術館となり、ここで「中国陶磁の至宝英国デイヴィッド・コレクション展」等が開催された。当初の西武は北京駐在山本部長以下、中国と関連が深く、栄宝斎や同仁堂や英記茶荘などの銘店も出店しており、後に堤清二氏が日中文化交流協会会長に就任するなどパイプも太かった。85年の故宮博物院展では、海外初出品の宋代・元代絵画の出品が中国国務院の判断でキャンセルとなり、代わりに、清朝の皇后の豪華な刺繍衣装が初めて来日し、大きな話題になった。また日本画家、横山操展は巻末の作品レゾネを付けたカタログが大好評で、未だに日本画界でこの展覧会が話題になる。当時は堤清二氏の提唱する「時代精神の根拠地」を目指し、何に対しても若手がチャレンジできる風土であった。現在そごう美術館では戦前の鈴木信太郎の大作を多く所蔵しており、レトロブームでファンが多くなり始めている。