かつて「西武のクリエイティブワーク」の中で日暮真三氏は自身のことを「西武百貨店の職安」と言っていた訳は、日暮氏が多くのクリエイターを西武百貨店に呼び寄せたため。西武百貨店の広告を作っていた山城隆一氏のアールに岩崎俊一氏や糸井重里氏を紹介した。また無印良品のネーミング会議では日暮氏の「無印」というアイディアに田中一光氏が「良品」と繋げたことでこの名称が決まり、広告コピーは女性の目が必要と考え、小池一子氏を指名したという。日暮氏は30歳で、和田誠や篠山紀信や浅葉克己を輩出した伝説のプロダクション、ライトパブリシティを退社し、田中一光氏から西武の仕事に誘われ、初めて堤清二氏と面談。堤氏から「ようやくミヤケイッセイの仕事を任せられるコピーライターを見つけた」と言われた。そして広告をあまりやらない田中一光氏に代わって山城隆一氏のアールと西武の広告をやるようになった。こうして「人間の街」「感度いかが?ピッピッ。」等の名作が生まれた。しかし5年間の西武の広告も、西武社内の仕事の進め方に疑問を感じて降りることにして、暮らしにもっと密着した西友の仕事を始めた。しかし西友でも会長決裁は仕事というより真剣勝負で厳しいものだった。そのころ他社の仕事で広告代理店に幻滅し、代理店の仕事をやめ、コピーライターズクラブも辞め、作詞に重点を置くようになった。最近NHKで「おかあさんといっしょ」で以前作った歌についてインタビューを受けたが、当時子育て中だった記者が記憶に残っていて取材に来てくれた。自身の原稿用紙に魔女の絵があるのは、昔長髪であちこち飛び回っていた姿を黒田征太郎氏がイラストにしてくれたもの。堤清二氏は言葉にうるさい経営者で、セゾンというネーミングを作る時意見を聞かれ、ダサいと答えたが、結局良いネーミングだった。今自分が劇団四季の広告をやっているが、あの世代にとってシーズンや季節といった言葉は良かったのだろう。自分は堤さんにチャチャを入れる役割だった。堤さんは昔を思い出して恥ずかしくて思わず声を出すような事はないと言っていたが、田中一光氏を見出し、今の多くの道を作り出した天才であったことは間違いない。
F4
コピーライター、作詞家
日暮真三
(撮影日:2025/08/06)