F10 元西武フランス、パリ駐在部 小林敏之 (撮影日:2025/08/21)

1983年小林敏之氏は入社して池袋食品部へ配属。86年に当時の林達也役員の指示で西武フランスへ赴任。当時の事務所はFaubourg st Honore(フォーブル・サントノーレ)162番地の2階に現地法人の西武フランスと欧州駐在部パリ駐在所の事務所であった。当時の西武のフランスの食品ブランドは綺羅星のようで、ルノートル、ロジェ・ベルジェ、マキシム・ド・パリ、キルン、料理学校のコルドンブルーパリ、ワインのヴィナデイエセレクション、キャビア専門店のキャビアキャスピアなどと取引をしていた。コルドンブルーは代官山に料理学校を開設してフランス人シェフも滞在し、本格的料理教室を開催していた。当時のフランス三ツ星レストランカンヌのムーラン・ド・ムージャンのロジェ・ベルジェブランドを展開し代官山にレストランも展開していた事もあった。ルノートルはガストン・ルノートル氏もいらっしゃりパリ16区オートイユに本店を構えていた。ルノートルは当時フランスではケータリング、高級総菜として知られ、パテイシエのケーキも色鮮やかに展開していた。日本での展開はパンとパテイスリー、中元歳暮のギフトでのワイン、ジャム、マスタード等瓶缶詰が中心であった。菓子類ではパテ・ド・フリュイや当時は日本ではまだ珍しかったマカロン等展開し、ガレット・デ・ロワも当時日本で知る人もいない時期にルノートルの日本のブテイックでは展開をしていた。当時の西武百貨店でも数多く展開され、西武百貨店の顔的な存在であった。当時はフランス人のフリボー氏がルノートル日本代表として活躍していた。ルノートルの製造工場は池袋店駐車場ビルの地下2階にあり、多くのパテイシエがルノートルから育っていった。当時の百貨店競合の中では高島屋はフォーション、伊勢丹はエデイアール等を展開していた。当時の西武百貨店、セゾングループの展開ブランドの質と量はそれらの比ではなかった。ヴィナデイエセレクションは西武らしいワインセレクションであったと思う、パリ16区の高級住宅街の一角にそのレストランはあった、レストランオーナーはペイロー氏は当時天才シェフとして名が知られていた、その三ツ星レストランヴイヴァロワのソムリエがジャン・クロード・ヴィナデイエ氏であった。ヴィナデイエさんのワインセレクションは格付けワインとか銘醸ワインにこだわるわけではなく、食事に合う比較的手ごろなワインをセレクションしていた、そのワインセレクションを似顔絵のシールを貼って西武百貨店で各店で販売するということであった。ワインもロワールやアルザスなどが多く堤邦子役員に紹介して頂いて始まったと聞いている。マドレーヌ寺院広場にあるキャビア専門店キャビアキャスピアとも日本での展開契約を当時していた。イラン産ロシア産等カスピ海で獲れるチョウザメの卵であったキャビアは、スイスのベルンが集積基地になっていたようだ。一度だけベルンのキャビアのリパック地を訪問したことがある。当時はベルーガ、オシェトラ、セブルーガの三種のキャビアや当時そば粉のパンケーキブリニに載せてキャビアを食べていること等印象に残っている。ハムソーセージのキルンは西武らしいアルザス、ストラスブルグのっシャルキュトリーとブシェリー(ハムソーセージと精肉店)であり、ドイツの技術とフランスのエスプリが感じられるハムソーセージを日本でライセンス製造した。パテ・ド・カンパーニュやクナック・ド・ストラスブールなど国境の町らしいメニューが人気だった。多くのフランスライフスタイル食品を日本で展開してきたが各ブランドの相手はオーナーであり即断即決を求め、仕事の厳しさを学ぶ素晴らしい機会であったと今は思えている。堤邦子役員のオフィスはセーヌ川に近くシャンゼリゼ通りと並行してるフランソワ・プルミエ通りにあった、あまり私のような一駐在員はお会いする機会は少なかったが、何回かお会いする機会に恵まれた。一度はクリスマス時期にフォーブルサントノーレの事務所へいらっしゃり、豚の血を使ったフランスのソーセージ“BOUDIN NOIR”という腸詰を所員へ差し入れ、プレゼントで持ってきてくださった事を覚えている。 もう一つは南仏の養殖エビをパリにある日本食品店へ売り込みを考えることを宿題で頂き、南仏の養殖場まで行って、エビの研究をした事を覚えている。今になっては多くの日本料理店や物販がある中で既に40年前にそのようなビジネスをお考えになっていた事は本当に驚きです。小林氏は93年のパリオフィス縮小に伴い帰国、商品部食品の業務を行い、のちにセブン・アンド・アイ グループのパリ駐在として2回目の赴任をしている。その事務所はオペラ座近く、旧証券取引所(ブルス)と呼ばれる建物の近くにあった。駐在事務所として活動していたが、仕事の9割はそごう西武の百貨店関連中心であった。個人的には食品で仕事をしてきたので、この2回目赴任ではファッション関連のアテンドが中心であり様々な勉強の機会を与えられた事は幸いであった。フランス人とコミュニケーションする際に、1回目赴任の頃(1990年頃)日本の百貨店(グラン・マガザン)といえば西武百貨店であった、しかし今回の2回目の2015年の赴任では百貨店というとISETAN, HANKYUという名前ばかりで、SEIBUという名前を聞くことはなかった事が時代の移り変わりを実感したことをおぼえている。