G7 元西武百貨店販売促進部、㈱I&S、営業企画室、テナント部、趣味雑貨部、文化プロモーション部 末永一彦 (撮影日:2025/09/18)

末永一彦は1982年入社して短期間の池袋店婦人服での売場研修の後、田中一光デザイン室に研修出向に出て初めてデザインの世界を知る。後に本部販売促進部広告制作課吉田健一氏の下で、浅葉克己氏の浅葉事務所と糸井重里氏、山城隆一氏や吉田臣氏の㈱アールと岩崎俊一氏や長友啓介氏たちのK2やプロジェクトYなどと共に中元歳暮や催事などの広告制作業務に従事した。その後広告制作業務をセゾングループの代理店㈱SPNに一本化するという政策に基づき、㈱SPNに出向し、これが第一広告社と合併し㈱I&Sを設立することになり、この新会社のCI作りを皮切りに田中一光デザイン室とともにセゾングループ各社のCI作りの業務に従事した。その後百貨店営業企画室に復帰し、水野誠一営業企画室長の下の営業開発部で海外催事や東京クリエイティブといった全店プロモーションに従事。商品統括部では重点商品センター化計画にも従事。その後商品本部テナント部に転じ、そごう各店の過剰自営面積の効率化に向けたテナント導入、さらに西武・そごう全店のレストラン街リーシング業務を行い、各店に話題の人気店を導入していった。その後松本社長の時代には趣味雑貨部門を任され、店内にスパイスとなる小型売場のキュリオシュタットやNYのジョナサン・アドラーの導入、渋谷西武創業時に壁面を飾ったミラノのフォルナゼッティの再導入などに従事した。林社長時代には文化プロモーション部門を任され、企業ミッションの策定、コミカレやそごう美術館や八ヶ岳音楽堂やアートミーツライフ、伝統文化展など社内文化施設の連絡会議を設定し、これをネット上でアーカイブ発信するホームページ、「西武・そごうトランスカルチャー」(後の「西武・そごうアート&カルチャー」)の発信を始めた。その後池袋の大改装が始まり、取材対象売場が激減したため、この期間を利用して、新たに「西武セゾンヒストリー」を立ち上げた。これは早い時期に田中一光氏、堤清二氏、岩崎俊一氏、吉田臣氏、長友啓介氏、吉田健一氏など多くの広告制作に関わった方々が亡くなり、さらにご高齢を理由にカメラの前に立てないという方も増え、社内でも毎年のように西武セゾン時代を知る方々が故人となる中、この時代に西武セゾングループが何をなし得て、何ができなかったのかを明らかにしておきたかったからである。最近は言論の自由が武器になる時代(ファクトチェックは時代遅れ)といわれ、当時西武が導入したブランドがいつの間にか他社の成果にされていたり、当時西武が日本に紹介したアート展がいつの間にか歴史から消され、虚偽の日本初公開と銘打った展覧会が増えている。しかし当時発行された印刷媒体の多くは絶版となり、古書や図書館に行かないと見られない。例えば今回動画収録に及ばなかった大先輩の小田勝五氏は以前、私がパリの芸術家が集ったカフェクーポールの中央にあった男女背合わせの球体像が池袋東口ロータリーにあるものと同じである理由を伺ったら、「あれはタローちゃんに頼んで1964年の東京オリンピックの時に作った「メリーポールの像」の跡が空いてしまい、邦子さんに頼んだら「デルブリが良いから送る」と言われ、輸入して地元に寄贈したんだ」と教えて頂いた。デルブリとはフランスではロダンとセザールの間をつなぐ重要な彫刻家だという。後日岡本太郎美術館ではメリーポールの写真がネット上にも出され、「メリーポール」とは1970年大阪万博の太陽の塔の原型のような形のものであったことが分かった。まだまだ先輩方から伺った事はたくさんあるが、今まだご健在の方々にはカメラの前に立っていただき、当時の西武セゾングループの社内外の人たちが、それぞれの立場を超えてどんな思いで、何に向かっていったのかを語っていただきたいと考えた。セゾングループの消滅とともに成果物の多くは失われていったが、一方で西武セゾングループから生まれた有形無形の多くの物事は、人知れず今も今の我々の暮らしに多くの喜びをもたらしている。次世代を担う若い世代が、その折々の単なる思い付きではなく歴史を知った上で継承発展させてくれるためにも、当時の方々の思いを長く「生の声」として残していきたい。