大木誠氏は1982年入社。西武百貨店宇都宮店改装時期に同期30人とともに宇都宮店に配属され、婦人服飾部のプレタ売場と毛皮売場で5年間の経験を積んだ。その後サンシャイン本部商品部婦人服でインポートを担当することになり、すぐにニューヨーク買付。ベティ・ジョンソン等の買い付けを行った。買付商材のほとんどは渋谷シード館2階のジ・エキスプレスで展開される商品だった。パリにも出張し、パリコレを観たり、マルティーヌ・シットボンやイザベル・マラン等の買い付けも行った。当時はシビラも西武で直接買い付けしていたが、ブランド争奪戦の結果、イトキンが国内ライセンス製造で独占権を獲得した。イタリアではナイ・オレアーリも買い付けて池袋2階でショップ展開していた。これらは当時ロンドンでギャルソンなどを扱っていたジョセフを参考に作られたセレクトショップの走りであった。これらの取組みは後年、新宿伊勢丹が1階に作った「解放区」に先行するものだった。自分たち西武社内で貿易業務から、値付け、品質検査、選択表示タグ付け、出荷、支払いまでを一貫して行っていた。このため若手の自分たちはほとんど一日中、江古田センターに入り浸りになっていた。このころ、ミッソーニやソニアリキエルなど大量買い付けするブランドは、グループ内ファッション卸売会社のエルビス扱いになっており、売り上げ規模が大きくなるとエルビス扱いに移行することが多かった。
海外催事と連動した買付も多かった。フランス展、イタリア展、英国展、イタリア展などに合わせて新商材買付を行っていた。売場が希望する商材を短期間の出張期間中にすべて見つけて交渉するのは難しいため、事前に売場からの欲しい商材のリクエストをそれぞれの駐在部に流しておき、短期間に買付できる体制になっていた。商品部内では婦人服からティーンズヤング部が独立したりシード部ができたりして、それらにも籍を置いた。
その後渋谷シードに異動になり、シード館企画担当になり、有楽町西武に異動した。有楽町では新しくできたB館を担当した。B館は当初、地下1階がラルフ・ローレン、1階はアニエス・ベーとアフタヌーン・ディーのサザビー。2階はユナイテッド・アローズとゲス、3階は有楽町版のシードエキスプレス。4階はロフトと無印良品で、自分が1階から3階までを担当し広領域に渡って業務を遂行していた。
その後、大木氏はご実家の事業の整理のため西武を退社し、婦人靴の卑弥呼に15年勤務の後に独立して㈱イントロダクトを10年経営している。ここでは西武池袋本店で屋上でのハロウィンパーティの企画なども行った。シードは各フロアのマネージャーが仕入れ権限を持ち、同時期に5階のシードプロトは堤真理子氏がやっていて、二永氏も在籍していた。百貨店に入った以上、自分で作ったり買ったりした服を、最初から最後まで一気通貫してできるよう仕事を覚え、買付から店頭に出せるまで準備し、実際に売場に出し、自分で売る楽しさを感じてほしい。
