I6 スタジオダヴィンチC.E.O、元西武渋谷店販促装飾担当、㈱I&Sスペース開発局 田代悦子 (撮影日:2025/11/19)

田代悦子氏は現在スタジオ ダ ヴィンチを経営するVMDディレクター。田代氏は1971年文化服装学院ディスプレイデザイン科を卒業。当時の学科の名称はピンワーク科といい、マネキンやオブジェに布をピンで留め造形表限する技術や空間表現、ディスプレイについて学ぶ学科だった。71年には生涯の師と仰ぐ後藤艶子氏の㈱後藤デザインに入社しディスプレイの実務に就く。後藤艶子氏はファッションディスプレイの先駆者で、西武百貨店のエタラジストたちを最初に教育した先生だった。ここで田代氏はディスプレイの企画から実施、フィニッシュワーク、ディスプレイ教育までを学び、Showingとはその商品を売るためのチャンスと環境とストーリーを創る販売促進活動だという、ヴィジュアルマーチャンダイジングの原則にも通じる大原則を学んだ。

このころから田代氏は仕事と並行して、元々やりたかった外国語習得のため、アテネフランセと日仏学院で英語とフランス語のスキルを高めていく。74年以降フリーランスでディスプレイの仕事をしていた時、西武エタラジストの統括・島田圭子氏と出会い、西武百貨店渋谷店のフロアエタラジストに対するディスプレイ教育の講師として要請を受け、75年西武百貨店渋谷店に入社。当時の渋谷店は新しい百貨店を目指して全館のリフレッシュプランが進行中であり、次第にディスプレイ講師としての業務よりも販売促進装飾担当としての業務が主となっていった。渋谷店では販売促進部販売促進課装飾担当の業務を75年からスタートし、93年まで従事した。このころの西武百貨店は西武セゾングループの基幹企業として、百貨店以外の業務も行っていたため、グループ企業のエルメス・ジャポンの丸の内店出店に際し、本国仕様のディスプレイの研修のため島田氏とともに長期渡仏し、以後丸の内店のウィンドウディスプレイを数年間担当した。また同じくグループ企業の㈱リンツの扱うベネトンについても本社ビルのディスプレイを手がけていた。その後93年にI&Sに異動し、95年まで全店のVMD研修用マニュアル、商品アイテム別の詳細な展示・陳列マニュアルの作成や、有楽町西武のオープンの仕事などに携わった。

渋谷店の仕事では、感性あふれるライフスタイル提案型百貨店としてエキサイティングなVMD設計が求められた。当時は大きなウィンドウがなかった分、エスカレーター前のVP拠点は西武渋谷店の世界観を表現し、お客様をおもてなしするための重要なビジュアルコミュニケーションの場であった。全館共通テーマに基づいて、各フロアの上りエスカレーター前に上がるたびにストーリーを展開していき、下りは商品メインのVPとした。例えば夏ファッション展開の際は日本の夏祭り、灯籠流しや田植えなど夏の風物詩をテーマとしたり、夏のバカンススタイルを海賊風のエキゾチックなシーンで表現したりした。当時のマネキンはリアルマネキンが主流で、何を着せても様になったが、とりわけ実在のモデルを型抜きしたスーパーリアルマネキンや、海外の一流メーカーによるマネキンの存在感は別格であった。当時のVPデザインは渋谷店、池袋店ともに異才の井上富士男氏が担当していた。現在のようにスマートな方向性でなくスーパーリアルでパワフルでドラマチックでエキサイティングな表現ができたのは、予算額の大きさもあったが、同時に、劇場型百貨店としてエンターテイメント性を重視して発信する方向性だったこともある。この大胆な表現方法は、全館ライフスタイル型というテーマによりファッションフロア以外の家庭用品、スポーツなどにも適用されていった。しかし今の時代、当時と同じ予算があってもこういう手法にはならないだろう。井上富士男氏が彫刻家・藤江孝氏とコラボレーションした「木遊」では、大きな木材彫刻を天井から吊ったが、そのインスタレーションはダイナミックな作品となった。

ニューヨークのアーティスト、マイケル・エイブラムスを招聘したクリスマスディスプレイでは独特な世界観をトータルで表現するため、作家自身が家具も作り、ニューヨークから連れてきたヘアメイクアーティストがマネキンのヘアスタイルも作り、マネキン本体にも背景と同じペインティングを施して完成度を高めた。コストがかかったクリスマス装飾は、直後の正月には假屋崎省吾氏のアレンジした活け込みで正月装飾に転換し、全体でのコストを削減した。このようなコスト削減手法は他店でもよく見られる。

最近の百貨店のマネキンは抽象化されたものや顔のないヘッドレスマネキンが中心となっている。これはマネキンよりも商品に視線が行くように、あるいはお客さまが身近に感じられるようにという意図があるようだが、一方、銀座のハイブランドなどではブランドごとに特注でそれぞれのイメージに合うリアルマネキンを使っている。

田代氏はI&Sに95年まで勤務したのち、西武百貨店のVMD教育や、ティファニーのウィンドウデザイン、阪神百貨店やパルコのVMD研修、イッセイ・ミヤケショップマスターのVMD研修、京急百貨店のVMD研修などに従事した後、05年にはスタジオ ダ ヴィンチを起業し、VMDプランニングやディレクション、教育などを受託している。

田代氏は87年から、労働省の要請で同年に設立された日本ビジュアルマーチャンダイジング協会(=VMD協会)の会員であるが、ここで90年から理事を務め、06年から20年まで理事長を務めた。VMD協会は国家試験「商品装飾展示」技能検定に対し、VMDに関する人材育成と能力開発の見地で総合的な支援活動を行っている。田代氏は試験問題作成、試験の運営などの支援活動を長年にわたって行ってきたことから、11年には厚生労働大臣表彰、20年には単光瑞宝章を受勲した。商品装飾展示とはマーチャンダイズ・プレゼンテーションを意味し、商品を効果的に陳列、演出、表現することであり、1級から3級までの国家資格を認定している。2級、3級はデザイナー、デコレーター、売場販売員にも必要とされる技能で、3級は学生も受検対象となる。

近年西武渋谷店ではニューヨークのジョナサン・アドラーのショップが展開され、B館にはバーニーズも出店していたが、ジョナサン・アドラー氏のパートナーである、サイモン・ドゥーナン氏はバーニーズのウィンドーデコレーションを長く務めた人物であり、ニューヨークのVPでは日本と異なり、相当数のピンを使って服をトルソーにピッタリと貼り付け、フィットして見せるスタイル。何回か日本のバーニーズのウィンドウも手掛けたサイモン・ドゥーナン氏の作風はウィットと皮肉のきいた華やかなもの。特にクリスマス・ウィンドウは、アメリカで年間売り上げの20~25%を占めるホリデーシーズンだけに乾坤一擲の高いクリエイションである。クリスマスが終わると、担当者はすぐに翌年のクリスマスのデザインを考え始めるのがこの業界では普通になっているという。

最後に田代氏は若い世代に、自分が若い頃、師匠の後藤艶子先生から学んだこととして、「どんな仕事も常にクリエイティブにする」ことが大切と語る。パソコン仕事でも掃除でも全ての仕事に自分なりのクリエイティビティを発揮する事で、自分らしいものにしていく事が大切だと語ってくれた。