松村はるみ氏は1976年オイルショック後の厳しい就職環境の中、西武百貨店に入社した。当時民間企業では男女同一賃金の業種は百貨店のみであり、銀行などは、最初の会社説明会の段階で、「女子は寿退社するもの」という説明が平然となされていた。
最初の配属は池袋店ショップ販売部だった。当時ショップマスター制ができたばかりで、ショップ販売部はブランドショップだけでなく、ロアジール館の趣味雑貨や家庭用品のキッチンや呉服などの領域にも専門性の高いショップが存在し、ショップマスターが管理職として在籍していた。自分は呉服の和装小物のショップ「古今」その後紳士服ブランドの「ランバン」ショップに異動した。
79年にベビー用品を担当していたころ、本部商品部に女性バイヤーを増やす政策が出され、本部商品部の2人目の女性バイヤーとして本部に異動し、7年間サンシャイン本部でバイヤー勤務した。またバイヤーと同時に労働組合の本部支部の50階フロアの職場委員となった。このころ会社は終身雇用前提での生涯賃金体系を結婚や子供の進学などライフステージに合わせる賃金カーブを作っていたが、女性のライフステージでは出産と子育てで職場を離れるケースが多いM字型カーブだったので、仕事に復帰しやすくするためのライセンス制度を作ったり、1980年には池袋店とサンシャイン本部の中間地点に「星の子保育園」という社員用保育園ができた。これは今ようやく増えてきた企業内保育園としては草分け的存在だった。当時の西武百貨店は外に向けては企業テーマとして「女の時代」とうたいながら、内側に向けてはそれを具現化する実態ある制度を並行して作っていた。自分も労働組合本部支部として組合婦人部を作り、勉強会や懇親会も開催していた。女性の働き方を制度化したことで会社も成長していた。
1986年にはインポート担当バイヤーであったご主人のパリ駐在所赴任が決まり、松村氏もパリ駐在勤務となり、5年半をパリで過ごした。パリ駐在所と西武フランスは同じ建物にあったが、邦子役員の西武インターナショナルパリオフィスは別な場所であったため、行き来は少なかった。当時の扱い商品は、西武が輸入代理店であったエルメスやサンローラン、ソニアリキエルや、ライセンス生産していたルイ・フェローやダニエル・エシュテル、食品ではルノートルやキルンなど、インテリアではソレイアード、子供服ではタルティーヌ・エ・ショコラやボン・ポワンなど数多くあった。自分は婦人服と子供服を担当していた。当時のパリオフィスには20~25人ほどの従業員がおり、ファッションでは半年ごとに全店のショップマスターが出張してきて1週間ほど滞在し、自分の店の半年分の商品発注をしていた。
5年半のパリ駐在から92年に戻った先は商品部であり、このころから和田体制で始まったリストラと人員削減により海外出張者も大幅削減されたため、自分一人でパリ・ミラノに出張しインポート担当としてG.F.フェレなど全店のショップマスターのために半期ごとの発注を2年間行うことになったが、数量は和田体制下で激減していった。
1995年には有楽町店を皮切りに全店構造改革による店舗の業態見直しが始まり、1985年の開店以来黒字化できていなかった有楽町店にメスが入った。ここでの仕事はドラマチックなものだった。10年間にわたって「小さな世界の大きな宇宙」をテーマにセゾングループの情報発信機能を担ってきた有楽町店の目標が突如「衣のいちばん店」に変更され、銀座・丸の内OLのファッションに特化し、当時提携したニューヨークのサックス百貨店のノウハウを導入して、クラブオンカードを作り、RFM分析による顧客リテンションを販促活動の軸にした。松村氏は、地下;ラルフローレン、1F;サザビー&アニエスb、2F;ユナイテッドアローズ、3F;自主インポートブランド、4F;無印良品と趣味雑貨で構成されるB館を担当する課長となった。これらの構造改善により営業効率は改善し店舗ベースでは初めて黒字化した。1997年には有楽町店長では富永氏が女性で初めての店長となった。
松村氏は所沢店に異動となり、1年間の販売部長を経て所沢店長となった。所沢も有楽町同様、販売員も顧客も女性中心であったが、有楽町と異なり年代は40代・50代が多くLサイズニーズなども大きかった。外商客も多く、好調だった西武ライオンズの優勝セールも毎年のようにあった。この店は1986年に「ワルツ所沢」という3セク商業モールの核テナントとして入居した店であり、開店時は「街に火をともす」というテーマで郊外ニューファミリー層を狙った店だった。当時は競合SCなどもなく、地元コミュニティの核拠点として行政との連動も強かったので、市のイベントや展示・発表会も多く開催された。今話題の小説である宮島美奈氏の「成瀬シリーズ」に描かれたような世界だった。
その後、そごうとの経営統合で本部統合商品部に戻り婦人3部長となった。婦人3部はいわゆるインポートブランド部門であり、ビッグブランドはますます元気になる中、そごう各店にあった大きすぎる規模のブランド売場は定期的な改装も手がついておらず、社内には十分な投資予算もなく、毎日毎日、厳しい交渉に明け暮れた。
2004年に、関東の百貨店ビジネスを理解しているということでヘッドハンティグされ、関東の百貨店で売場急拡大していた芦屋のアンリ・シャルパンティエに招かれ社長として関西に単身赴任したが、年中全国の百貨店を駆け回っていた。途中から兼務でロックフィールドの役員も3年間担当した。2011年までアンリ・シャルパンティエの社長を務めることになった。
その後、5つの住関連企業が統合して誕生したLIXILの役員に就任した。LIXILは住生活総合産業を標ぼうしており、旧セゾングループの生活総合産業を住いの領域に特化させたものだった。コアコンピタンスをまとめ新社名LIXILの企業ブランディングを行うなど、売上2兆円という企業規模であったがセゾングループでの経験が役に立った。
自分は女性の働き方に拘って仕事をしてきたが、女性の活躍が1970年代から始まった。女性販売員の働き方だけでなく、今は住宅関連でも多くの現場に女性が入り込んでいる。日本は、まだまだ職場での女性の地位も低く男女格差は残っている。女性同士でも繋がりあいながら、前進していってほしい。
松村はるみ氏のキャリア
◎販売職
1976年(株)西武百貨店入社 池袋店販売職
◎バイヤー・本部勤務
1979年 商品部子供服部 バイヤー
1986年 パリ駐在事務所 駐在員
◎店舗マネジメント
1995年 有楽町西武リニュアル 売場マネージャー
1997年所沢店販売部長一店長
1999年 渋谷店店長
2000年 有楽町西武店長
2002年 西武十合統合商品部 婦人服飾3部部長
◎経営者・経営幹部
2004年(株)アンリ・シャルパンティエ 代表取締役
2011年(株)住生活グループ 上席執行役員
2013年(株)LIXILグループ 執行役専務 専務執行役員
(株)LIXIL 取締役 専務執行役員
広報・CSR・環境戦略担当
1970〜1980年代 西武百貨店の女性活用策
<基本的な考え方>
・男女平等
・男女差より個人差
・女性活用は経営近代化の指標
・女子社員は最重要戦力 社員の60%、販売員の80%
・21世紀は女性の時代⋯中高年問題を控え定年退職まで雇用
・M字型ライフサイクルに適応
1970年 トレーナー制度、大卒女子定時採用
1975年 国際婦人年
1975年 ショップマスター制度(池袋店改装時より)
1978年 全員専門職制度
1979年 生産性向上運動 レディスボード発足
1980年 ライセンス制度
社内保育園「星の子保育園」設立
1986年 男女雇用機会均等法

