森田紘子氏は1970年、主婦と生活社の編集社から西武の企業テーマ「女の時代」に対応し、日本デザインセンター、JKデザインからの紹介で西武宣伝部に入社、同年島田圭子さんたちも入社し、本部に女性社員が初めて入ってきた。デザインセンターで顔見知りだった田中一光氏や横尾忠則氏の担当になり、高輪会カタログ等を担当した。操夫人のフラワーダイアリーも担当し、花の名前の誤りを指摘した事で夫人の信頼を得た。夫人は亡くなる直前まで歌人として活動された文化人だった。堤清二氏にとって広告は自らの表現の一環であり、表現決裁は厳しかったが、掲出された表現物へのクレーム等があっても全く動じなかった。
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本部販売促進部広告、VCA
森田紘子
(撮影日:2025/05/15)