1984年入社の小亀俊郎氏は、WAVEを統括する商品部音映像先端技術部に配属後、松下電工に研修出向3期生として派遣され、工場や営業所等メーカーの現場で異なる企業文化を体験。その後渋谷店販促でバレンタイン等の自社プロモーションの強化に端を発した店舗メディア事業を専任で担当。映画ジュラシックパーク協賛の渋谷店のみならず主要店の夏市への拡大展開、広告解禁直後の第一勧銀によるロフトジャック、大井競馬場やJ-WAVE等と組んでの屋上ビアガーデン、HONDA・寛斎と展開していたSEEDレーシングにswatchを加わえての鈴鹿8耐参戦等を行った。専門業務担当として正社員からクリエイティブキャスト契約となり毎週末深夜の店頭イベント施工等にも対応。現在もロフトの業務サポートを行っている。当時の西武は、求心力で一丸となる松下等の逆で遠心力が大きく、専門家を育てセゾンカードや無印等多くの事業を文字通り輩出した。ロフトでさえ元はB館7階の一売場であった。若い社員が、名刺片手に他社を口説きに行くのが当たり前だった西武の勢いが懐かしい。
小亀俊郎
C7
渋谷店販売促進部
小亀俊郎
(撮影日:2025/05/20)