高島信夫氏は1977年に西武池袋本店4階紳士服飾フロアのパルコ寄りのヤングゾーンに配属された。ヤングゾーンはトラッドのアイビーマート、ヨーロピアンのサンジェルマン、そしてジーンズマートが紳士服飾扱いで …続きを読む
地域店舗出店・改装
山本光子氏は1986年に在籍していた日本リクルートセンターからの転職で入社した。当時のリクルートは広告営業が多かったので、自分はもっと実業をやりたいと思い転職した。実は新卒の時も西武には関心があった。 …続きを読む
小坂竜氏は1986年乃村工藝社に入社した。入社した頃はそごう横浜店が開業した時期で、小坂氏は乃村工藝社の百貨店部門で、そごう横浜の内装、ウインドー、店内装飾の仕事からスタートした。当時の乃村は、そごう …続きを読む
柴田廣次氏は1983年パルコに入社。SP局に配属された。通常1部門2~3年で異動となるのが通例なところ、11年間継続してここに勤務した。SP局はセールスプロモーション局ということだが、実際には販売促進 …続きを読む
松村はるみ氏は1976年オイルショック後の厳しい就職環境の中、西武百貨店に入社した。当時民間企業では男女同一賃金の業種は百貨店のみであり、銀行などは、最初の会社説明会の段階で、「女子は寿退社するもの」 …続きを読む
1978年横山明浩氏は池袋店婦人雑貨婦人靴売場に入社し4年間の経験を積んだあと、サンシャインの本部商品部婦人雑貨の婦人靴バイヤーを3年、アクセサリーバイヤーを2年程経験したあと、商品開発部の婦人雑貨担 …続きを読む
内藤富夫氏は1982年に八ヶ岳高原ロッジを運営していた西武都市開発(後の西洋環境開発)に入社。そのあとすぐ㈱八ヶ岳高原ロッジはここから独立し、会社は今年43年目になる。入社時は経理担当として入社したが …続きを読む
吉留景子氏は1979年入社。渋谷店配属となり、ファッション中心の渋谷店が、当時は戦略的にライフスタイル志向でインテリア領域を強化し「オーマイ・ダイニング」や「バスデコール」売場が登場していた頃で、これ …続きを読む
田代悦子氏は現在スタジオ ダ ヴィンチを経営するVMDディレクター。田代氏は1971年文化服装学院ディスプレイデザイン科を卒業。当時の学科の名称はピンワーク科といい、マネキンやオブジェに布をピンで留め …続きを読む
大木誠氏は1982年入社。西武百貨店宇都宮店改装時期に同期30人とともに宇都宮店に配属され、婦人服飾部のプレタ売場と毛皮売場で5年間の経験を積んだ。その後サンシャイン本部商品部婦人服でインポートを担当 …続きを読む
佐野勝也氏は1987年西武渋谷店趣味雑貨部に入社し、この年11月にロフト開業とともにロフト館勤務となる。佐野氏は東京外語大スペイン語科でスペイン語演劇に取組んでいて、セゾン文化と堤清二氏への憧れが強く …続きを読む
小松沢秀志氏は1976年西武セゾングループのハウスエージェンシーであった㈱ストアプロモーション・ネットワークに大卒一期生としてただ一人入社した。当時は広告代理店からきた方々が多く、録音技師として既に泉 …続きを読む
福田昭彦氏は1968年西武池袋本店家庭外商部に入社した。入社した年に渋谷店ができ、翌年パルコが誕生したので新卒100人の配属は池袋と渋谷が半々だった。2年半の家庭外商の後、クレジットカードの西武カスト …続きを読む
西村佳也氏が西武の仕事に関わった最初は、西武百貨店地方店の出店広告からだった。浅葉克己氏と浅葉事務所の飯島氏と西武の吉田健一氏の4人組で富山を皮切りに全国の西武地方店の出店計画に合わせて全国を巡回した …続きを読む
斉藤均司氏は1970年、池袋本店紳士ヤング売場に入社した。9期改装前の紳士フロアは2階にあった。当時の競合百貨店にはヤング売場という売場はまだ存在しない時代であり、百貨店初のVANや百貨店初のジーンズ …続きを読む
田中世津子氏は1981年6月にアルバイトから正社員として西武百貨店に入社した。バイヤー志望であったが、最初は渋谷店ユーロブティックでハンティングワールドを担当。当時B館2階にあったユーロブティックでは …続きを読む
君塚章子氏は入社2年目の1977年頃から当時は西武美術館だけであった文化事業部で美術館の管理や友の会組織の仕事を始めた。当時紀国役員指示で更なる文化拠点開発が始まり、池袋店8FTKビルにスタジオ200 …続きを読む
稲田哲夫氏は1967年に入社し、本部広報・渋谷店販促・本部広告制作・池袋店販促・仙台店販促・本部広告制作・渋谷店販促・浜松店販促・本部販促企画など47年間を販促畑で勤務した。入社時点の宣伝部は諸先輩や …続きを読む
浅葉克己デザイン室は、昔から面白い雑貨や印刷物が部屋中にあふれていた。現在の建物を設計したのはイタリアの建築家アルド・ロッシ氏だが、以前は普通の2階建ての一軒家で、庭には犬のトキオが訪問者を迎えていて …続きを読む
米谷浩氏は昭和33年1958年大卒3期生として西武百貨店入社。同期は10人ほどで早大卒が多かった。紳士服に配属され、後39歳で取締役商品部長。米国シアーズに2週間の研修に行った後に池袋9期増床の構造改 …続きを読む
桑沢でインテリアを学び天童木工で3年半程の経験を積んだ河崎隆雄氏は25歳頃で西武百貨店建装部に入社した。ほぼ同時期に元スーパーポテトの飯島氏も同じく建装部に入社している。西武に来たのは先に建装部に転職 …続きを読む
今井亮氏は1959年(S34)年入社の大卒4期生。上には1期竹内氏、2期和田氏、3期米谷氏がいた。不景気で西武には大卒で730人応募があったが入社は19人だけだった。自分は三越でアルバイト経験があり、 …続きを読む
①1970年代前半 西武百貨店社員だった頃 1973年武蔵野美術大学卒業後、のほほんとしていて就職浪人になった5月、新聞求人広告を見て西武百貨店家具装飾部に入社。先輩に、後にコムデギャルソンを設計する …続きを読む
貿易を学び商社や百貨店志望だった望月明氏は1964年池袋店火災の翌年、渋谷店開業を控えた西武百貨店に入社した。堤店長率いる西武百貨店は池袋1店舗であった。最初は池袋店紳士ヤングカジュアル係に配属。 …続きを読む
濱田雄治氏は1977年入社で渋谷店趣味雑貨に3年勤務の後、渋谷店営業開発部新館プロジェクト担当としてシード、ロフトの開発にあたる。当時濱田氏は知らなかったが、西武渋谷店の1968年の開店以降、後 …続きを読む
野上秀子氏は1978年入社。当時はマスコミ、出版社等は大卒女子の求人がない時代だったが、入社前から西武美術館を見たり、西武のアートやショップマスター制度の新聞記事を見て、何か社会を変えそうな西武に対 …続きを読む
橋本行秀氏は71年百貨店渋谷店入社、5年後に本部で営業分析や営業企画。有楽町西武の計画立案の中で、物販ができない8階を逆手に取り、堤清二氏の唱える「モノからコトの時代」を反映して、セゾングループの保険 …続きを読む
藤川正夫氏は当時割賦販売店の雄だった緑屋に1970年入社。この頃、緑屋は多店舗展開と電算センター投資に丸井台頭が重なり経営悪化、丸紅の経営参画を経て西武百貨店が経営参画。当時西武の坂倉社長は電算センタ …続きを読む
1969年、鈴木邦彦氏は千葉大学園芸学部を卒業。自治体や園芸会社や種苗会社への就職が一般的だった中、西武百貨店からの求人に応募し入社した。最初食品部に配属されるも、2年後に園芸部門に異動。当時は朝日工 …続きを読む
伊東勇氏は69年に西武百貨店に90人の同期大卒と共に入社後、西武百貨店の全国百貨店共同仕入れ機構JIMA事務局に配属され販促業務に従事。一方当時パルコでは増田通二社長の下で小池一子、石岡瑛子、山口は …続きを読む
90年代のバブル崩壊、不動産価格暴落から、西武は西洋環境、西友は東京シティファイナンスが経営危機に陥る。不良債権は年を追って幾何級数的に拡大していった。渡邊氏はファミリーマートから、木内氏は良品計画か …続きを読む
廣村正彰氏は76年から田中一光デザイン室にアバイト入社し翌年からメンバーとなった。既に坪内、佐村、木下氏はメンバーで常にメンバーは10人までだった。朝の掃除とコーヒーミーティング、昼食、 …続きを読む
鹿野順一氏は1962年、池袋1店舗の時代に入社。屋上にはヘリポートがあり、アランドロンが康次郎会長と共に社員食堂に来たり、007の初代アストンマーチン売場展示もあった。シャッターは手巻式だった。池 …続きを読む
北條愼治氏は1969年入社。渋谷店販売計画で営業政策、改装計画に従事した後、本部営業企画で全店大型プロモーション、新店・改装計画や営業政策に従事。旭川、五番舘、アムス西武仙台、池袋10期、船橋・八尾 …続きを読む
片山正夫氏は1981年入社。リブロポート志望だったが1年間池袋紳士カジュアルを経て、リブロポート小川社長も傘下にいた紀国役員の文化事業部の企画担当として美術館、コミカレスタジオ200等の統 …続きを読む
アメリカ帰国子女で日本の大学休学中に、新聞広告のシアーズ日本の社員募集に応募した前田洋子氏は1973年渋谷パルコ開業直後に西武入社当時渋谷パルコ5階ワンフロア展開していたシアーズの受付業務に従 …続きを読む
別所恭子氏は1981年販促倉重部長、営業企画内村部長の時代に本部販促入社、販促企画や広告制作を担当。百貨店生活催事記は正月、バレンタイン、ホワイトデイからクリスマスまで毎月1回以上の頻度で、全店エ …続きを読む
二永展嘉氏は1979年西武百貨店渋谷店入社。学生時代がテニス部だった経験から、B館1階メンズ&スポーツカジュアルを担当。当時直輸入で都内でも殆ど無かったフィラ、エレッセ等テニスウエアが …続きを読む
菅家肇氏は1981年、中途入社で本部販売促進部宣伝企画に入社し、新聞等の出稿計画と経費管理に従事。当時は年間広告テーマキャンペーンに連動した全店プロモーションとして「不思議大好き。」と連動した古代 …続きを読む
松本隆氏は1975年、池袋店9期の時期にスポーツ館ができる前に、池袋店スポーツ売場に入社。メンバー3人からスポーツ館を立上げた。ラルフローレンの紺色ベストの制服も発案した。後に池袋店販売計画 …続きを読む
北尾知道氏は大学院で都市計画を学び、街づくりに力を入れていた西武百貨店に84年に入社。当時社内では拡・脱・超百貨店が合言葉で、本部営業政策部で毎年の暮らしの変化や環境変化を受けた年度テーマ策定や多角化 …続きを読む
牧山圭男氏は若くしてヤナセのトップセールスマンとなり、マンネリ感を感じていた9年目に義父の白洲次郎氏が親しかった堤清二氏の下に行く事を進められ、1970年入社。高級雑貨でVCA拡販で成功。百貨店否定 …続きを読む
1977年入社の白石周行氏は、池袋店食品ハム売場を経て、3年後に本部の営業企画室販売促進部宣伝企画課に配属された。当時営業企画室長は本間常務で、営業企画部は内村部長、販売促進部は増渕部長で白石氏はその …続きを読む
1983年入社の菊池正氏は西武船橋店紳士自主輸入商材売場に配属。87年ミラノ駐在に赴任。商材はエルビスのソニア、フェレ、アルマーニ等ファッションが9割で他に雑貨やワインアルファロメオとの契約等を担当 …続きを読む
安部正弘氏は1969年池袋家庭用品に入社。9期改装で石井甫氏指揮の元7階から上層をロアジール館とした。7階は食のデリカセブン、その上にスポーツ、ホビー、音映像、書籍、美術館という構成になった …続きを読む
1970年に慶応義塾大経済学部から、教授や財界人の父上の反対を押し切って入社した動機は、開成時代に関東に2店舗しかなかったVAN目当てに池袋店に通い、渋谷カプセルで倉俣環境と店内音楽に衝撃を受け、三島 …続きを読む
松尾任人氏は1982年西武百貨店に入社してすぐ、建築家仙田満氏の環境デザイン研究所に研修出向し、本部販促に復帰後は、多くの新店開発で西武が提案する内装デザインによる新時代の売場作りに従事。全フロアにテ …続きを読む
1984年に渋谷店に入社した堤真理氏は菊竹清訓氏設計の12階建ファッション館、渋谷シード館の2年目の1988年から勤務し、オリジナルの SEED by Designersフロアでジュンコシマダ、安部兼 …続きを読む
有楽町西武出店は計画段階から、アートビジネスの中心地進出を意識し、展示会場有楽町アートフォーラムの設置とともに販売を担う法人高輪アートを設立し、堤清二氏の狙う日本伝統文化の現代の継承と発展のため現存作 …続きを読む
東京プリンスホテル地下1階の西武ピサは、島津貴子様の就職先でもあり、堤会長の母上で、歌人大伴道子でもあった堤操夫人の指導の下、エルメスなど一流ブランドの中でも特に選ばれた逸品が揃い、各界のトップの方々 …続きを読む
セゾングループの文化事業部、六本木WAVE、ロンドンに本部を置いたセゾングループ時代のインターコンチネンタルホテルなど時代ごとの戦略部門を担った加英毅氏は、堤清二率いるセゾングループが現代日本社会に残 …続きを読む
1987年~99年まで西武宇都宮店に在籍。対競合東武で割引販売が常態だったがその中でさえも利益も上げていた。厳しい地型のロフト館に投資、新規開業に合わせ割引見直しを行った後に、東武に顧客を奪われる結果 …続きを読む
1976年から関西の西武の文化拠点大津店や八尾店、つかしん店で西村恭子氏率いる女性キュレーター達と池袋、渋谷発や地元発の多くの文化企画に従事。札幌西武五番舘赤レンガホールでも本格的文化企画に従事。後セ …続きを読む
