松村はるみ氏は1976年オイルショック後の厳しい就職環境の中、西武百貨店に入社した。当時民間企業では男女同一賃金の業種は百貨店のみであり、銀行などは、最初の会社説明会の段階で、「女子は寿退社するもの」 …続きを読む
各種小売業
立石和浩氏は1984年新卒で㈱パルコ入社。ストアオペレーション局営業企画で宇佐美昌一部長のもとテナント総会やシーズン営業催事等を担当していた。隣の部署には後にパルコ社長となった伊東勇氏もいた。松本パル …続きを読む
高津隆氏は1965年(昭和40年)に西武百貨店に入社し、池袋店食品の干物(塩干物)売場からキャリアをスタートした。当時はまだ堤清二氏は池袋店長にもなっていなかった。塩干物の後に塩鮭売場なども経験し1年 …続きを読む
金井政明氏は1976年に当時の西友ストアー長野に入社し、甲信越地域店舗の家庭用品バイヤーとして東京池袋にあった西友本部と連動して、上田西武など西友経営の西武を含む地域全体の店舗の家庭用品仕入を担当する …続きを読む
1978年横山明浩氏は池袋店婦人雑貨婦人靴売場に入社し4年間の経験を積んだあと、サンシャインの本部商品部婦人雑貨の婦人靴バイヤーを3年、アクセサリーバイヤーを2年程経験したあと、商品開発部の婦人雑貨担 …続きを読む
吉留景子氏は1979年入社。渋谷店配属となり、ファッション中心の渋谷店が、当時は戦略的にライフスタイル志向でインテリア領域を強化し「オーマイ・ダイニング」や「バスデコール」売場が登場していた頃で、これ …続きを読む
田代悦子氏は現在スタジオ ダ ヴィンチを経営するVMDディレクター。田代氏は1971年文化服装学院ディスプレイデザイン科を卒業。当時の学科の名称はピンワーク科といい、マネキンやオブジェに布をピンで留め …続きを読む
福田昭彦氏は1968年西武池袋本店家庭外商部に入社した。入社した年に渋谷店ができ、翌年パルコが誕生したので新卒100人の配属は池袋と渋谷が半々だった。2年半の家庭外商の後、クレジットカードの西武カスト …続きを読む
斉藤均司氏は1970年、池袋本店紳士ヤング売場に入社した。9期改装前の紳士フロアは2階にあった。当時の競合百貨店にはヤング売場という売場はまだ存在しない時代であり、百貨店初のVANや百貨店初のジーンズ …続きを読む
小泉直也氏は1986年西武百貨店本部商品部音映像事業部に入社し、半年後から楽器仕入を担当。当時西武全店の楽器売場には電子ピアノが登場し、ヤマハ、カワイ、ローランド、コルグなどが家庭用電子ピアノ販売合戦 …続きを読む
米谷浩氏は昭和33年1958年大卒3期生として西武百貨店入社。同期は10人ほどで早大卒が多かった。紳士服に配属され、後39歳で取締役商品部長。米国シアーズに2週間の研修に行った後に池袋9期増床の構造改 …続きを読む
塩原徹氏は五十嵐九十九先生に憧れて、1971年西武渋谷店にテーラーとして入社。五十嵐氏が亡くなるまで行き来していた。1975年、渋谷店にもヨーロッパ直輸入既製服を販売するショップ販売部ができたため、高 …続きを読む
今井亮氏は1959年(S34)年入社の大卒4期生。上には1期竹内氏、2期和田氏、3期米谷氏がいた。不景気で西武には大卒で730人応募があったが入社は19人だけだった。自分は三越でアルバイト経験があり、 …続きを読む
田中希世子氏は1987年に西友に入社。当時はセゾン文化事業が全盛時代で、シネ・ヴィヴァン六本木やWAVE等が大好きでシネセゾンで映画配給をしたいと思った。この年は銀座セゾン劇場が3月にオープンした年で …続きを読む
①1970年代前半 西武百貨店社員だった頃 1973年武蔵野美術大学卒業後、のほほんとしていて就職浪人になった5月、新聞求人広告を見て西武百貨店家具装飾部に入社。先輩に、後にコムデギャルソンを設計する …続きを読む
東雅春氏は1979年頃入社。西武の文化事業や専門職制度に大きな期待をもって入社したが、実際にはリニューアルを控えた八王子店食品に配属され、組織の論理に苦笑したが、若い自社社員が少ない食品の現場は思いの …続きを読む
貿易を学び商社や百貨店志望だった望月明氏は1964年池袋店火災の翌年、渋谷店開業を控えた西武百貨店に入社した。堤店長率いる西武百貨店は池袋1店舗であった。最初は池袋店紳士ヤングカジュアル係に配属。 …続きを読む
濱田雄治氏は1977年入社で渋谷店趣味雑貨に3年勤務の後、渋谷店営業開発部新館プロジェクト担当としてシード、ロフトの開発にあたる。当時濱田氏は知らなかったが、西武渋谷店の1968年の開店以降、後 …続きを読む
かつて「西武のクリエイティブワーク」の中で日暮真三氏は自身のことを「西武百貨店の職安」と言っていた訳は、日暮氏が多くのクリエイターを西武百貨店に呼び寄せたため。西武百貨店の広告を作っていた山城隆一氏の …続きを読む
岡崎陽二氏は、1973年30歳で建設業界から家具装飾部に中途入社、新会社㈱西武リビングに出向、同社清算までの3年間で、西武の悪しき体質(P>D>C>A、無責任、独善性等々)を知り、原籍復帰を拒否、商品 …続きを読む
林拓二氏は1976年に同期約40人と西武百貨店に入社し、沼津店に配属された。当時の西武は池、渋、船、大、八、宇、静、浜、沼の9店舗と東海地域では提携店豊橋があった。当時は西武カスタマーズカード導入 …続きを読む
藤川正夫氏は当時割賦販売店の雄だった緑屋に1970年入社。この頃、緑屋は多店舗展開と電算センター投資に丸井台頭が重なり経営悪化、丸紅の経営参画を経て西武百貨店が経営参画。当時西武の坂倉社長は電算センタ …続きを読む
1982年頃、高島屋宣伝部に在籍していた吉田早苗氏は、西武の広告をデザイン会社アールと組んで始める事になったコピーライター岩崎俊一氏の要請で、アールに移籍した。アールは日本デザインセンターを …続きを読む
伊東勇氏は69年に西武百貨店に90人の同期大卒と共に入社後、西武百貨店の全国百貨店共同仕入れ機構JIMA事務局に配属され販促業務に従事。一方当時パルコでは増田通二社長の下で小池一子、石岡瑛子、山口は …続きを読む
90年代のバブル崩壊、不動産価格暴落から、西武は西洋環境、西友は東京シティファイナンスが経営危機に陥る。不良債権は年を追って幾何級数的に拡大していった。渡邊氏はファミリーマートから、木内氏は良品計画か …続きを読む
渡辺紀征氏は、1963年一橋卒業後、入社した野村證券から5年後に公募で西友に入社。小金井店を経て本部営業企画畑へ。86年からは多角化事業の旅行、保険、文化事業も担当。関西西友統合にも尽力。無印良品の立 …続きを読む
廣村正彰氏は76年から田中一光デザイン室にアバイト入社し翌年からメンバーとなった。既に坪内、佐村、木下氏はメンバーで常にメンバーは10人までだった。朝の掃除とコーヒーミーティング、昼食、 …続きを読む
小池一子氏は西武のロゴを作った草刈順氏のJKストゥディオでコピーライティングの仕事を始め、知り合いの田中一光氏を堤清二氏に紹介し、堤氏と田中氏はすぐに意気投合、西武のデザイン事業が活性化していく。 渋 …続きを読む
鹿野順一氏は1962年、池袋1店舗の時代に入社。屋上にはヘリポートがあり、アランドロンが康次郎会長と共に社員食堂に来たり、007の初代アストンマーチン売場展示もあった。シャッターは手巻式だった。池 …続きを読む
アメリカ帰国子女で日本の大学休学中に、新聞広告のシアーズ日本の社員募集に応募した前田洋子氏は1973年渋谷パルコ開業直後に西武入社当時渋谷パルコ5階ワンフロア展開していたシアーズの受付業務に従 …続きを読む
別所恭子氏は1981年販促倉重部長、営業企画内村部長の時代に本部販促入社、販促企画や広告制作を担当。百貨店生活催事記は正月、バレンタイン、ホワイトデイからクリスマスまで毎月1回以上の頻度で、全店エ …続きを読む
二永展嘉氏は1979年西武百貨店渋谷店入社。学生時代がテニス部だった経験から、B館1階メンズ&スポーツカジュアルを担当。当時直輸入で都内でも殆ど無かったフィラ、エレッセ等テニスウエアが …続きを読む
牧山圭男氏は若くしてヤナセのトップセールスマンとなり、マンネリ感を感じていた9年目に義父の白洲次郎氏が親しかった堤清二氏の下に行く事を進められ、1970年入社。高級雑貨でVCA拡販で成功。百貨店否定 …続きを読む
川井博氏は1977年入社し、東京プリンスホテルにあったPISAに配属。操夫人や邦子役員が力を入れていたPISAは有名人、セレブ顧客の隠れ家的ショップで当時西武が日本に導入したエルメス、ヴァンク …続きを読む
1979年入社の田中彰氏はまず渋谷店紳士スーツ売場の販売、次いでB館1Fのカジュアル売場では常時プロモーションが求められ、マリンクリーンキャンペーンで湘南海岸の空缶を拾ってきて売場のゴミ箱に捨 …続きを読む
1971年入社した陸川徹氏は池袋店食品売場の生鮮塩干物売場に配属された。当時魚、肉、野菜は自営で、陸川氏もシャケを捌いて販売していたが、この仕事は先輩の山崎元社長や食品林部長も経験していた。82年の西 …続きを読む
1984年入社の小亀俊郎氏は、WAVEを統括する商品部音映像先端技術部に配属後、松下電工に研修出向3期生として派遣され、工場や営業所等メーカーの現場で異なる企業文化を体験。その後渋谷店販促でバレンタイ …続きを読む
安部正弘氏は1969年池袋家庭用品に入社。9期改装で石井甫氏指揮の元7階から上層をロアジール館とした。7階は食のデリカセブン、その上にスポーツ、ホビー、音映像、書籍、美術館という構成になった …続きを読む
1970年に慶応義塾大経済学部から、教授や財界人の父上の反対を押し切って入社した動機は、開成時代に関東に2店舗しかなかったVAN目当てに池袋店に通い、渋谷カプセルで倉俣環境と店内音楽に衝撃を受け、三島 …続きを読む
松尾任人氏は1982年西武百貨店に入社してすぐ、建築家仙田満氏の環境デザイン研究所に研修出向し、本部販促に復帰後は、多くの新店開発で西武が提案する内装デザインによる新時代の売場作りに従事。全フロアにテ …続きを読む
東京プリンスホテル地下1階の西武ピサは、島津貴子様の就職先でもあり、堤会長の母上で、歌人大伴道子でもあった堤操夫人の指導の下、エルメスなど一流ブランドの中でも特に選ばれた逸品が揃い、各界のトップの方々 …続きを読む
堤清二氏の理論を、優秀な人材がいた緑屋の再建の現場で実践し、当時、本来の顧客であるはずの女性が持てなかったクレジットカードを女性客に開放し、女性社員がお勧めすることで成長軌道に乗せることができた。また …続きを読む
