山本光子氏は1986年に在籍していた日本リクルートセンターからの転職で入社した。当時のリクルートは広告営業が多かったので、自分はもっと実業をやりたいと思い転職した。実は新卒の時も西武には関心があった。 …続きを読む
プロモーション
小坂竜氏は1986年乃村工藝社に入社した。入社した頃はそごう横浜店が開業した時期で、小坂氏は乃村工藝社の百貨店部門で、そごう横浜の内装、ウインドー、店内装飾の仕事からスタートした。当時の乃村は、そごう …続きを読む
柴田廣次氏は1983年パルコに入社。SP局に配属された。通常1部門2~3年で異動となるのが通例なところ、11年間継続してここに勤務した。SP局はセールスプロモーション局ということだが、実際には販売促進 …続きを読む
榎本了壱氏は高校時代から憧れだった粟津潔氏のいる武蔵野美術大学に入学。1968年、21歳の学生時代に粟津潔氏らが、草月アートセンターを拠点に発行されていた「季刊FILM」のレイアウトのアシスタントとし …続きを読む
田代悦子氏は現在スタジオ ダ ヴィンチを経営するVMDディレクター。田代氏は1971年文化服装学院ディスプレイデザイン科を卒業。当時の学科の名称はピンワーク科といい、マネキンやオブジェに布をピンで留め …続きを読む
小松沢秀志氏は1976年西武セゾングループのハウスエージェンシーであった㈱ストアプロモーション・ネットワークに大卒一期生としてただ一人入社した。当時は広告代理店からきた方々が多く、録音技師として既に泉 …続きを読む
林牧人氏は1981年西武百貨店文化事業部に入社した。入社2年前に林氏は伝説の現代美術を扱う画廊、南画廊に入社していて、ここの最大のお得意様だったのが西武美術館だった。しかしここのオーナーが急死したため …続きを読む
荒井紀雄氏は1971年に約230名の同期と共に西武百貨店に入社し、船橋店婦人雑貨課に配属された。この年は「西武流通グループ」が発足し、世界最大の小売業だったアメリカのシアーズローバック社と提携した年だ …続きを読む
泉秀樹氏は1973年に新宿にあった西友の子会社ストア・プロモーション・ネットワークに録音技師としてアルバイト入社したことからセゾングループのキャリアを始める。3日後に役員から社員にならないか、と言われ …続きを読む
榎彰子氏は1981年に入社。この年は八尾出店を控え採用数が多かった年であった。榎氏は西武大津店の大津西武ホールに配属された。このころ関西の西武の文化関連施設は大津ホールしかなかった。上司は元読売テレビ …続きを読む
小泉直也氏は1986年西武百貨店本部商品部音映像事業部に入社し、半年後から楽器仕入を担当。当時西武全店の楽器売場には電子ピアノが登場し、ヤマハ、カワイ、ローランド、コルグなどが家庭用電子ピアノ販売合戦 …続きを読む
稲田哲夫氏は1967年に入社し、本部広報・渋谷店販促・本部広告制作・池袋店販促・仙台店販促・本部広告制作・渋谷店販促・浜松店販促・本部販促企画など47年間を販促畑で勤務した。入社時点の宣伝部は諸先輩や …続きを読む
浅葉克己デザイン室は、昔から面白い雑貨や印刷物が部屋中にあふれていた。現在の建物を設計したのはイタリアの建築家アルド・ロッシ氏だが、以前は普通の2階建ての一軒家で、庭には犬のトキオが訪問者を迎えていて …続きを読む
米谷浩氏は昭和33年1958年大卒3期生として西武百貨店入社。同期は10人ほどで早大卒が多かった。紳士服に配属され、後39歳で取締役商品部長。米国シアーズに2週間の研修に行った後に池袋9期増床の構造改 …続きを読む
末永一彦は1982年入社して短期間の池袋店婦人服での売場研修の後、田中一光デザイン室に研修出向に出て初めてデザインの世界を知る。後に本部販売促進部広告制作課吉田健一氏の下で、浅葉克己氏の浅葉事務所と糸 …続きを読む
西武の広告を始める前、20代のころ小さな広告プロダクションにいたが、ここがつぶれてしまい、フリーであったのでメジャーな企業の広告を手掛けるチャンスはなかったが、今はないウェルジンというジーンズショップ …続きを読む
田中希世子氏は1987年に西友に入社。当時はセゾン文化事業が全盛時代で、シネ・ヴィヴァン六本木やWAVE等が大好きでシネセゾンで映画配給をしたいと思った。この年は銀座セゾン劇場が3月にオープンした年で …続きを読む
東雅春氏は1979年頃入社。西武の文化事業や専門職制度に大きな期待をもって入社したが、実際にはリニューアルを控えた八王子店食品に配属され、組織の論理に苦笑したが、若い自社社員が少ない食品の現場は思いの …続きを読む
貿易を学び商社や百貨店志望だった望月明氏は1964年池袋店火災の翌年、渋谷店開業を控えた西武百貨店に入社した。堤店長率いる西武百貨店は池袋1店舗であった。最初は池袋店紳士ヤングカジュアル係に配属。 …続きを読む
濱田雄治氏は1977年入社で渋谷店趣味雑貨に3年勤務の後、渋谷店営業開発部新館プロジェクト担当としてシード、ロフトの開発にあたる。当時濱田氏は知らなかったが、西武渋谷店の1968年の開店以降、後 …続きを読む
保坂武雄氏は1960年入社。池袋店婦人服イージーオーダー配属された。当時は既製服よりイージーオーダーや生地販売が大きかった。翌年、三島彰氏の調査室に異動し、63年に婦人服で規模拡大していた既製 …続きを読む
坂井直樹氏の活動は京都芸大の学生時代、憧れの刺青を祖母に禁じられた反動で刺青Tシャツを作って現在の京セラ美術館で発表した所、西武の山岡氏の所から200枚の発注を受け、その資金でサンフランシスコで刺青T …続きを読む
かつて「西武のクリエイティブワーク」の中で日暮真三氏は自身のことを「西武百貨店の職安」と言っていた訳は、日暮氏が多くのクリエイターを西武百貨店に呼び寄せたため。西武百貨店の広告を作っていた山城隆一氏の …続きを読む
1982年頃、高島屋宣伝部に在籍していた吉田早苗氏は、西武の広告をデザイン会社アールと組んで始める事になったコピーライター岩崎俊一氏の要請で、アールに移籍した。アールは日本デザインセンターを …続きを読む
1969年、鈴木邦彦氏は千葉大学園芸学部を卒業。自治体や園芸会社や種苗会社への就職が一般的だった中、西武百貨店からの求人に応募し入社した。最初食品部に配属されるも、2年後に園芸部門に異動。当時は朝日工 …続きを読む
伊東勇氏は69年に西武百貨店に90人の同期大卒と共に入社後、西武百貨店の全国百貨店共同仕入れ機構JIMA事務局に配属され販促業務に従事。一方当時パルコでは増田通二社長の下で小池一子、石岡瑛子、山口は …続きを読む
90年代のバブル崩壊、不動産価格暴落から、西武は西洋環境、西友は東京シティファイナンスが経営危機に陥る。不良債権は年を追って幾何級数的に拡大していった。渡邊氏はファミリーマートから、木内氏は良品計画か …続きを読む
ナガクラトモヒコ氏は1983年には仲畑広告製作所で西武のファッションやセゾンカードのキャッシングの広告を担当していたが、サンアドに移籍し、当時サンアドで葛西薫氏が担当していた「日本一の市」の名 …続きを読む
菅家肇氏は1981年、中途入社で本部販売促進部宣伝企画に入社し、新聞等の出稿計画と経費管理に従事。当時は年間広告テーマキャンペーンに連動した全店プロモーションとして「不思議大好き。」と連動した古代 …続きを読む
松本隆氏は1975年、池袋店9期の時期にスポーツ館ができる前に、池袋店スポーツ売場に入社。メンバー3人からスポーツ館を立上げた。ラルフローレンの紺色ベストの制服も発案した。後に池袋店販売計画 …続きを読む
北尾知道氏は大学院で都市計画を学び、街づくりに力を入れていた西武百貨店に84年に入社。当時社内では拡・脱・超百貨店が合言葉で、本部営業政策部で毎年の暮らしの変化や環境変化を受けた年度テーマ策定や多角化 …続きを読む
牧山圭男氏は若くしてヤナセのトップセールスマンとなり、マンネリ感を感じていた9年目に義父の白洲次郎氏が親しかった堤清二氏の下に行く事を進められ、1970年入社。高級雑貨でVCA拡販で成功。百貨店否定 …続きを読む
川井博氏は1977年入社し、東京プリンスホテルにあったPISAに配属。操夫人や邦子役員が力を入れていたPISAは有名人、セレブ顧客の隠れ家的ショップで当時西武が日本に導入したエルメス、ヴァンク …続きを読む
1978年入社の森肇氏は学生時代に芸能山城組の立上げに参画した際に、取材した堤清二氏に関心を持ち、文化事業志望で西武百貨店に入社。渋谷店婦人服を経て、山城組イベントを池袋店内に誘致する等の実績からス …続きを読む
1977年入社の白石周行氏は、池袋店食品ハム売場を経て、3年後に本部の営業企画室販売促進部宣伝企画課に配属された。当時営業企画室長は本間常務で、営業企画部は内村部長、販売促進部は増渕部長で白石氏はその …続きを読む
1977年入社の菊池壮一氏は75年に池袋店11階にできたばかりの書籍売り場リブロに配属された。当時リブロは新参自営書店で、新刊や雑誌、漫画があまり入らず、人文書や美術書、さらに詩の専門コーナーぽえむぱ …続きを読む
1979年入社の田中彰氏はまず渋谷店紳士スーツ売場の販売、次いでB館1Fのカジュアル売場では常時プロモーションが求められ、マリンクリーンキャンペーンで湘南海岸の空缶を拾ってきて売場のゴミ箱に捨 …続きを読む
1984年入社の小亀俊郎氏は、WAVEを統括する商品部音映像先端技術部に配属後、松下電工に研修出向3期生として派遣され、工場や営業所等メーカーの現場で異なる企業文化を体験。その後渋谷店販促でバレンタイ …続きを読む
森田紘子氏は1970年、主婦と生活社の編集社から西武の企業テーマ「女の時代」に対応し、日本デザインセンター、JKデザインからの紹介で西武宣伝部に入社、同年島田圭子さんたちも入社し、本部に女性社 …続きを読む
安部正弘氏は1969年池袋家庭用品に入社。9期改装で石井甫氏指揮の元7階から上層をロアジール館とした。7階は食のデリカセブン、その上にスポーツ、ホビー、音映像、書籍、美術館という構成になった …続きを読む
1970年に慶応義塾大経済学部から、教授や財界人の父上の反対を押し切って入社した動機は、開成時代に関東に2店舗しかなかったVAN目当てに池袋店に通い、渋谷カプセルで倉俣環境と店内音楽に衝撃を受け、三島 …続きを読む
1970年代末、雑貨専門店バイヤーだった頃、西武の商品部から不良在庫の買取を持ち掛けられたが、「不思議なものがない」と断った事が好印象を与え、その店が廃業した際に、西武から誘われて入社した。当時の西武 …続きを読む
1974年百貨店本部販促に10人と共に入社した森川氏は、半年後オイルショックで池袋スポーツ部に異動。直後にスポーツ館が立ち上がり、企画部門を担当。週替りで甲子園や卓球、テニスや熱気球等多くの話題性あ …続きを読む
有楽町西武出店は計画段階から、アートビジネスの中心地進出を意識し、展示会場有楽町アートフォーラムの設置とともに販売を担う法人高輪アートを設立し、堤清二氏の狙う日本伝統文化の現代の継承と発展のため現存作 …続きを読む
1982年入社の小林一裕氏は、現無印館の4フロアで30種以上のスポーツ領域の道具を販売する西武スポーツで活躍してきた。ここではノースフェイス、アディダス、ナイキなどが日本に初めて紹介され、登山道具、ナ …続きを読む
東京プリンスホテル地下1階の西武ピサは、島津貴子様の就職先でもあり、堤会長の母上で、歌人大伴道子でもあった堤操夫人の指導の下、エルメスなど一流ブランドの中でも特に選ばれた逸品が揃い、各界のトップの方々 …続きを読む
現在ホームページ作りを請け負う企業ICAを経営する青木之於氏は専門職制度で本部販促広告制作に入社し、テレビ、ラジオ広告や現在のネット広告の魁となったNTTキャプテンシステム広告の制作に従事し、セゾンカ …続きを読む
学生時代に演劇を志し、安部公房スタジオを経て芦野社長が立ち上げたニューアート西武に参画。池袋本店12階、西武美術館隣接の美術書店アールヴィヴァンはエルンスト、ピカビア、シーレ、デュシャン、ボイス、リヒ …続きを読む
1983年入社の當摩進氏は、旅行事業部を経て、芸能山城組を主宰する筑波大学の山城祥二氏の研究室に研修出向し、文明批評性の高い非西洋音楽の世界を学んだ。その後「村から町から館」の前身となる農業体験や逗子 …続きを読む
堤清二氏の理論を、優秀な人材がいた緑屋の再建の現場で実践し、当時、本来の顧客であるはずの女性が持てなかったクレジットカードを女性客に開放し、女性社員がお勧めすることで成長軌道に乗せることができた。また …続きを読む
英仏スペイン語に長け、アート志向の吉目木氏は本部営業企画で海外催事のキューバ展ではキューバからの現代アーティスト招聘ライブイベントを開催するなど活躍。同じく海外催事として開催した東京クリエイティブでは …続きを読む
セゾングループの文化事業部、六本木WAVE、ロンドンに本部を置いたセゾングループ時代のインターコンチネンタルホテルなど時代ごとの戦略部門を担った加英毅氏は、堤清二率いるセゾングループが現代日本社会に残 …続きを読む
1984年から西武百貨店とエルメス社の合弁会社エルメスジャポンに勤務。1992年に有楽町アートフォーラムで開催したエルメス「ラ・メール展」はその後続々と東京で開催されたハイブランドのブランディング展の …続きを読む
1976年から関西の西武の文化拠点大津店や八尾店、つかしん店で西村恭子氏率いる女性キュレーター達と池袋、渋谷発や地元発の多くの文化企画に従事。札幌西武五番舘赤レンガホールでも本格的文化企画に従事。後セ …続きを読む
2012年から八ヶ岳音楽堂の出演者キャスティングに従事。リヒテル、武満徹両氏の音楽祭は年間100公演に成長し、今も音楽堂の開業以来のコンセプトを守る。音楽家と観客が二人三脚で音楽の場を作る唯一無二のホ …続きを読む
1975年入社時に西武浜松店趣味雑貨売場で感じた西武セゾン文化の提供価値、体験価値提案はロフト社長で退任するまで一貫していた。 海外催事や東京クリエイティブなど大型催事で今も広く知られる商品を多数日本 …続きを読む
