内藤富夫氏は1982年に八ヶ岳高原ロッジを運営していた西武都市開発(後の西洋環境開発)に入社。そのあとすぐ㈱八ヶ岳高原ロッジはここから独立し、会社は今年43年目になる。入社時は経理担当として入社したが …続きを読む
スポーツ・レジャー
和田俊一氏は、1982年に縁あってメーカーから西武都市開発(後の西洋環境開発)に入社。当時の同社は「スペースからライフへ」をコンセプトに掲げ、宅造やマンションなどの不動産事業からリゾート開発へと業容を …続きを読む
1969年、鈴木邦彦氏は千葉大学園芸学部を卒業。自治体や園芸会社や種苗会社への就職が一般的だった中、西武百貨店からの求人に応募し入社した。最初食品部に配属されるも、2年後に園芸部門に異動。当時は朝日工 …続きを読む
北條愼治氏は1969年入社。渋谷店販売計画で営業政策、改装計画に従事した後、本部営業企画で全店大型プロモーション、新店・改装計画や営業政策に従事。旭川、五番舘、アムス西武仙台、池袋10期、船橋・八尾 …続きを読む
松本隆氏は1975年、池袋店9期の時期にスポーツ館ができる前に、池袋店スポーツ売場に入社。メンバー3人からスポーツ館を立上げた。ラルフローレンの紺色ベストの制服も発案した。後に池袋店販売計画 …続きを読む
北尾知道氏は大学院で都市計画を学び、街づくりに力を入れていた西武百貨店に84年に入社。当時社内では拡・脱・超百貨店が合言葉で、本部営業政策部で毎年の暮らしの変化や環境変化を受けた年度テーマ策定や多角化 …続きを読む
1974年百貨店本部販促に10人と共に入社した森川氏は、半年後オイルショックで池袋スポーツ部に異動。直後にスポーツ館が立ち上がり、企画部門を担当。週替りで甲子園や卓球、テニスや熱気球等多くの話題性あ …続きを読む
1982年入社の小林一裕氏は、現無印館の4フロアで30種以上のスポーツ領域の道具を販売する西武スポーツで活躍してきた。ここではノースフェイス、アディダス、ナイキなどが日本に初めて紹介され、登山道具、ナ …続きを読む
1983年入社の當摩進氏は、旅行事業部を経て、芸能山城組を主宰する筑波大学の山城祥二氏の研究室に研修出向し、文明批評性の高い非西洋音楽の世界を学んだ。その後「村から町から館」の前身となる農業体験や逗子 …続きを読む
